京のアフロ仏像(京都府京都市)

仏像の髪型といえば、あのパンチパーマのような特徴的な髪型を思い浮かべる人も多いと思う。あれは螺髪(らほつ)という如来独特の髪型で、モデルとなったお釈迦様がそういう天然パーマだったらしい。一つ一つの巻き髪をビヨ~ンと伸ばすと、実は超ロンゲだとか。

そんな仏像界のファッションリーダーといえるお方が京都におはす。
場所は黒谷金戒光明寺、その御姿はというと・・・。

バ――――――ン!

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つのだ☆ひろか~~~~~~っ!!

ちなみにこれは「五劫思惟阿弥陀仏」といい、人々を救うために何十億年というとてつもなく長い時間考え込んでいたためこんなにも髪の毛が伸びてしまったというわけ。それにしてもすごすぎ・・・。

うーんとってもありがたや~。ナムアフロブツ。

(1997年5月)

京のいのしし社寺めぐり(京都府京都市)

亥年ということで、京都の二大いのししスポットを紹介。

ひとつ目は建仁寺の塔頭の禅居庵。
いのししを使いとする摩利支尊天をまつっており、境内では狛犬の代りにこの通り、いのししが守っている。かわいいウリ坊タイプから、大きなブロンズいのししまでいっぱい!

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続いて京都御所近くにある護王神社。和気清麻呂公をまつっている。こちらも御覧の通り、いのししが守っている。これは清麻呂公が敵に襲われた時、三百頭のいのししが現れて守ったという伝説によるもの。

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全国から集められた「いのししコレクション」も展示。
もうどれもこれもカワイイ~ッ!ブヒ―――ッ!!

(1997年5月)

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洲本城(兵庫県洲本市)

淡路島の中央に位置する洲本。江戸時代から城下町として淡路の政治文化の中心となってきた。
その洲本の町を見下ろす三熊山に洲本城の天守閣が建っている。

さっそく山を登ってそばまで行ってみると・・・・。

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うーむ、なんともビミョーな天守閣が・・・。
とくに石垣の部分に注目、完全にハリボテ状態。中もコンクリート壁のガラーンとした部屋があるだけ。
当時の姿を復元というよりも、天守閣風の展望台といった感じだ。
しかしながらその歴史は古く、なんと昭和3年の再建で「日本最古の鉄筋コンクリートの天守閣」という肩書きを持っているのだ。(これまたちょっとビミョーな肩書きだけどね)

コンクリート天守閣界の長老、ここにあり。

(1998年8月)

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石切神社(大阪府東大阪市)

「でんぼ(できもの)の神様」として信仰を集める石切神社。その参道の商店街には漢方薬屋や占い所、そして現代の流行神というべきいろんな神様が立ち並び、ひじょうに濃密な空間となっている。

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その石切商店街でも一際異彩を放つのが、こちらの高木薬房。漢方薬を売っている。
店頭のディスプレイは戦前の衛生博覧会のノリ。内部には手作りの人体模型やさまざまな子供の病気の絵が並ぶ。

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「かべつちをたべる」ってすごい。昔はこんな子供がいっぱいいたのだろうか。
でも小学校の時に、アリを食って「ヨーグルトの味」とか言ってるやつならいたな。

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近くにはこちらの御主人が建立した「耳ナリの神様」がまつられている。手水は御主人をモデルにしたという胸像で、耳から水が出ている。

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こちらの御主人は大阪を代表する名物じいさんとして、「探偵ナイトスクープ」にもちょくちょく出ていた。私が訪れた時もまだご健在であったが、その後しばらくして亡くなられたそうで、現在はもうあの素晴らしい店頭のディスプレイの数々は見ることはできない。

参道にあるもうひとつの不思議な神様がこちらの「日本で三番目石切大仏」だ。
こちらも漢方薬屋の阪本薬局の御主人が建立したもの。

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世に「日本三大仏」と呼ばれているものがあり、奈良と鎌倉の大仏は確定しているものの、残りの一つはあちこちの大仏が主張しているのが現状である。
どうやらこちらの大仏は「日本で三番目石切大仏」というのが正式名称のようだ。ものすごいアピールっぷり。

(1998年3月)

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壷阪寺(奈良県高取町)

西国三十三観音札所第六番、壷阪寺。
境内の売店を見てみると、ちょっと変わった品揃え。目薬、そしてインド雑貨が並んでいる。他の寺では見られない何とも不思議な取り合わせだ。どうしてこの寺にこうしたものが並んでいるのか、謎を解いていこう。

この寺にはO・ヘンリーもびっくりの激しくも美しい夫婦愛の伝説が伝わる。
昔、大和国高取に沢市、お里という夫婦が住んでいた。沢市は病にかかって目が見えなくなってしまったが、お里はそれをよく助けて仲良く暮らしていた。そして二人は沢市の目が治るようにと、壷阪寺にそろって参拝し続けた。
ある日のこと、いつものように壷阪寺に参拝に行く途中、沢市は数珠を家に忘れたとお里に言い、お里がそれを取りにむかうと、その間に谷底に身を投げてしまった。目の見えない自分がいる限り、お里にずっと苦労をさせてしまう、そう思っての行動であった。
再び戻ってきて、それを知ったお里はとても悲しみ、あなた一人を死なせはしない、自分もともにいきましょう、と同じく谷底に身を投げたのである。すると、観音様が現れて、二人の命をすくい、沢市の目をも再び見えるようにしてくれたそうである。
この伝説は「壷坂霊験記」として浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなり、さかんに上演され、庶民の人気を集めたそうだ。

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この伝説より眼病に御利益があるお寺とされ、多くの参拝者が訪れ、目の御守や絵馬、そして目薬もつくられるようになったのである。その名も御祈祷済目薬「サワイチ目薬V」。とっても御利益ありそうな名前。

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さて壷阪寺のもう一つの顔がインドである。境内のあちらこちらに広がるインドワールド。まるでその一画だけ別の寺のようだ。実は壷阪寺はインドで慈善活動を行っており、その友好の証として、境内にこうしてインド風の建造物が建てられているのだ。

まず境内裏手の山に白い大理石の大きな観音像が立っている。高さ20メートル。1983年にインド政府より贈られたものだそうだ。

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そして大観音像をきっかけにこの寺のインド化は始まった。
さらに続いてインド彫刻の長さ50メートルにもおよぶ釈迦一代記レリーフを建設。
極めつけがこの巨大な建物。なんと石窟寺院!まさにインド!有名なアジャンターの石窟寺院がモデルだそうだ。

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1999年にはこれまたインド彫刻の大涅槃仏も完成したそうだ。(私が訪れた時は建設中だった)

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このように日本とインドが同居する壷阪寺であるが、最近はそこに鬼がイメージキャラクターとして加わったようで(毎年星まつりが行われる節分からの連想か?)、境内は魔除の鬼の像や鬼の面がおかれて、さらに混沌度がアップしているそうだ。
そしてさらには虎皮パンツの「阪神タイガース優勝祈願」の鬼まで登場したとか・・・。

次々と進化を続ける庶民信仰の寺に今後も要注目。

(1998年3月)

無量光寺(和歌山県和歌山市)

和歌山城下にも大仏様がおわすのを、ご存知だろうか。多くの寺院が集まっている寺町の無量光寺にある。

そしてこちらがその大仏様。
なんと頭だけの御姿。これはすごいインパクト。頭だけでも3メートルある。

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なぜこんな御姿になったのかというと、こういう話。
元々は銅製の仏像があったのだが、それが火災にあって溶けてしまったため、今度はその溶け残った銅を使って大仏を作ろうと、まず頭の部分だけを造ったのである。ここまでは実にいいアイデアだったのだが、その後資金不足で、体まで造られなかったのである。それでこのような頭だけの御姿に・・・。

しかしこの大仏様、そのインパクトある御姿から「首大仏さま」と親しまれ、首から上のことなら何でもかなえてくれるということで、とくに受験生に大人気だそうだ。

(1998年3月)

淡嶋神社(和歌山県和歌山市)

和歌山市加太にある淡嶋神社。人形供養の神社として知られている。
毎年3月3日に行われる雛流しの行事で有名である。

訪れたこの日も、まだ3月。本殿にはお雛様が飾られていた。

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って、ちょっと多すぎですよ!いったい何段飾り!

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出だしからすごい光景を見てしまったが、これは淡嶋神社人形ワールドのまだ始まりにすぎない。
本殿横には奉納された数々の人形が並べられている。しかし、この神社の素晴らしいところは、きちんと種類別に整頓されて並べられているところだ。
同じ種類の人形がズラリと並ぶ様は、とても見やすいし、そして異様な迫力がある。

まねき猫づくし。いっせいに手をあげて招くのは、同じまねき猫の仲間か。

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熊づくし。もう鮭を捕りつくさんばかりの勢い。

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黒田武士づくし。「それでは拙者の舞いをお見せいたそう」「いや、拙者が舞うでござる」「いやいや、拙者が」「いやいやいや、拙者が」

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見事なまでの整頓ぶりに感動。これからもどうぞ頑張ってください。

(1998年3月)

イノブータン王国(和歌山県すさみ町)

すさみ町の道の駅に立ち寄ったら、なんと「イノブータン王国」という独立国だった。

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こちらがイノブータン王国国王イノブータン大王の居城、イノブータン城。おー、城住まいなんですか。
まあ城の約半分はトイレ、約半分は物産販売所となっているのだが。

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で、物産販売所もといイノブータン城の一番奥まった片隅に貴賓室があり、そこでイノブータン大王と王妃に対面できる。実にフランクな国王ですね。

この国の元号は「猪豚」というらしい。壁に今までの歴史が写真パネルで紹介されている。猪豚元年(1986年)にイノブータン王国建国。大王と王妃は猪豚3年(1988年)にご成婚されたらしい。
すると今年は、えーと猪豚何年だろう。最近はあまり歴史も記されていないようでちょっとさびしい。

そして、そんな平和なイノブータン王国に指名手配犯が潜入したらしい。
その名も「ツチノコ」!

イノブータン王国に繁栄あれ。

(2004年5月)

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橋杭岩(和歌山県串本町)

国道42号線を南下し、串本町に入ると海岸に様々な形の岩が一直線に並んで立っているのが見える。
これが橋杭岩である。

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橋杭岩とはよく名づけたもので、大きな岩が見事に850メートルにわたって一直線に並ぶ姿は、まさに作りかけの橋の杭が並んでいるようである。
長年の波の浸食によって生み出された不思議な光景。大自然の造形の神秘を感じる。

この橋杭岩にはこんな伝説がある。
それによれば昔、弘法大師が天邪鬼に命じて橋を作らせようとしたが、天邪鬼が途中でくたびれたので鶏の鳴き声を真似したところ、弘法大師はまんまとそれに騙されて夜が明けたと思って工事を中止したため橋杭だけが残ったという。
天邪鬼、ずいぶんとモノマネが上手なようで・・・。

ところでまあこの話をただの伝説といってしまえばそれで終わりなのだが、私はこの話と役行者伝説とが深く関わっているような気がする。
役行者は修験道の祖といわれてる人物で、伝説によればすごい神通力の持ち主で、鬼を使役していた。葛城山の神である一言主大神までも使役し、一言主大神に命じて葛城山から吉野山までの岩橋を作るように命じた。しかし一言主大神は醜い自分の姿を晒したくないとして、夜しか働かなかったので工期が遅れ、完成しなかったという。
この二つの話には「鬼を使役」「岩橋を作らせる」「仕事は夜だけ」「未完成」といった共通のキーワードがあると思うがどうだろう。
私が思うには、吉野の役行者伝説が高野を経て、この橋杭岩伝説へとつながったのではないだろうか。そしてそれは紀伊山地の霊場を結ぶ参詣道が伝えたのであろう。吉野の役行者、高野の弘法大師、そして熊野詣で(串本は熊野詣での海岸沿いのルート上にある)、紀伊山地の三大霊場がここ串本の地で一つになったような、そんな気がした。

(2004年5月)

はし杭(和歌山県串本町)

橋杭岩の向かいにあるうどん屋「はし杭」。
店内からは橋杭岩もよく見え、絶好のロケーションである。

うどんはダシがきいててなかなかの味。
小腹がすいていたので、紀伊名物のめはり寿司とさんま寿司も食べた。めはり寿司は高菜でまいたおむすび、パリパリした食感が楽しめる。さんま寿司はさんまの姿寿司、ユズの香りがいい感じ。こちらもうどんにあうのでぜひ。

(2004年5月)

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無量寺・串本応挙芦雪館(和歌山県串本町)

串本に無量寺という寺がある。
江戸時代に円山応挙の高弟長沢蘆雪が串本に滞在し、この寺で龍虎の絵を描いた。

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門前には大きなフェニックスの樹。いかにも南国の寺といった雰囲気。
よく見るとフェニックスの間に裸体彫刻が。これもまた不思議な取り合わせだ。

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門をくぐるとすぐに長沢蘆雪の作品を収めた「串本応挙芦雪館」があるが、ここはお寺なので先にお参りしてからと思い、本堂へとむかった。
本堂へむかう間にも現代アートの作品が点々とおかれている。どうやらこちらの住職は幅広く美術に関心があるようだ。
あまりお寺に来たことのない人なら、仏像と間違ってお賽銭をあげる人もいたりして。

さて本堂に入るとやたらガラーンとしている。ここにあった襖絵は現在は芦雪館の方に移されているからだ。御本尊にお参りをし、芦雪館へと戻る。

芦雪館では襖絵の実物を見ることができる。十二面の襖を目一杯に使って龍と虎を描いた絵で、それぞれ六面ずつ使って龍と虎が向かい合わせに配置されている。両者の間に立つとそのダイナミックさに圧倒される。
虎はこちらをじっくりと睨みつけている。いまにも飛び掛ってきそうなしなやかな体、勢いのあるタッチで描かれた毛並みは虎の野性をとことん引き出す。蘆雪はこの虎を描くにあたって、猫をモデルにしたという説があるが、よくも小さな猫をこんな大きな虎にまで成長させたもんだ。まあ猫だって小さな猛獣だ。猫に時折垣間見える野性を充分にまで発展させた成果がこんなすごい絵になったのだ。蘆雪、ほんとすごい絵師だ。

裏面は子供達の勉強の風景。ただし先生がいないことを幸いにもうしっちゃかめっちゃか遊びまくっている。いやー、自分もこんな感じだったな小学校の時。なんとも郷愁を感じる絵である。子犬もかわいい。

芦雪館を出て、再び本堂へと戻る。
ガラーンとした本堂に座り、ぼーっと周りを見ていると、先程来た時と違い、今見たばかりの龍虎の絵がうっすらと見えてきた。頭の中でならいつだってCG再現は簡単だ。堂内全体に広がる蘆雪の素晴らしき世界。
ああ一度この部屋で龍虎図を見てみたかったなあ。

これ寺の入口にあった観光案内板の蘆雪の絵・・・。
なんとかしてー!

(2004年5月)

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補陀洛山寺(和歌山県那智勝浦町)

紀伊半島の南端、那智勝浦に補陀洛山寺はある。
本堂の柱や幟には「補陀洛(ふだらく)渡海の寺」とある。さてこの「補陀洛渡海」とは何だろう。

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補陀洛とは南の海のかなたにあると考えられた観音菩薩の浄土の世界。そこを目指して数多くの僧たちが船出した地がこの寺である。

熊野那智の様相を描いた「熊野那智参詣曼荼羅」という絵があるが、その右下にもその光景は描かれている。人々に見送られながら一艘の小さな船が旅立っている。素朴でカラフルな絵柄のため、まるでおとぎ話の世界のように見えるが、その儀式の実際を知るとすさまじい信仰の世界に驚かされる。

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境内には復元された渡海船が置かれている。

渡海上人は船の中央の三角形の屋根の部分に入るわけだが、そこを見ると前も後も板で囲まれ、まったく出入り口がない。
つまり渡海上人が中に入ったら外から厳重に釘で打ち付けて二度と外に出られなくしてしまうのだ。四方に配した鳥居は現世界と異世界とを区切る結界を意味しているのであろうか。

二度と出られぬ漆黒の闇。
そして二度と帰ることのない船出。

僧たちは経典とわずかな食料だけを積んで旅立った。
補陀洛浄土を目指して・・・。

すさまじい信仰の力だ。

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平安時代から江戸時代にかけて何人もの僧たちが補陀洛渡海の旅に出た。
その中には平維盛の名前も見える。平家の若武者は何を思いながら補陀洛浄土へと旅立ったのであろうか。

補陀洛渡海の儀式は次第にエスカレートしていき、本人の意思と関係なく、むりやり渡海船に乗せられたケースもあったらしい。

そして悲劇は起こった。江戸時代に金光坊という僧が補陀洛渡海の旅に挑んだ。しかし彼は船から脱走をはかり、沖合の島に逃げてしまうのである。そしてそれを見つけた人たちによって彼は殺されてしまうのだ。彼の殺された島は金光坊島と呼ばれている。
すさまじい信仰の力は時に人を狂気へと変えてしまう。
この事件を境に生きながらの補陀洛渡海の儀式は行われなくなったという。(その後は死後に遺体を乗せて海に流したとのことである)

私が訪れた日は渡海上人供養の法要があり、本尊の千手観音菩薩が御開帳された。その表情は丸顔の女の子のようでとても優しい。
そしてこの観音様の前で僧たちはいったい何を思っただろうか。

ある者は一心不乱に補陀洛浄土を信じ、観音様、どうぞ私を貴方様の浄土へとお導きくださいと念じただろう。

そしてある者は刻々とせまる船出の日を前に、怯えてすがったかもしれない。

そんな人々の様々な想いを、彼らの旅立った那智の海を眺めながら想った。今日の海はとてもおだやかだった。

(2004年5月)

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熊野古道の牛馬童子(和歌山県田辺市)

2004年春、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録も内定し、これからますます注目されるであろう熊野古道。
今回は熊野古道のイメージキャラクターともいえる「牛馬童子」を訪れることにした。

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牛馬童子入り口の看板。なかなかかわいくキャラクター化されている 。
でも一歩間違えると童子はウォーズマン(ウォーズマンスマイル時)。

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杉木立の中を歩く。

当日はかなりのどしゃ降りで、地面はまるで川のよう。
他には誰も歩いていない。
しかし降りしきる雨音のみが聞こえる静寂な世界はまさしく古道といった雰囲気でなかなかよい。

すると足元をササッと駆け抜けていくものがある。

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あっ、カニだ。雨に誘われてか、無数のカニがうじゃうじゃと道に這い出ている。全部で100匹以上はいただろう。こんなにたくさんのカニははじめて見た。

踏みつけないように注意しながら歩く。まあ足音が近づけば警戒してむこうのほうからよけて道脇の草むらへと隠れるのだけど。でも中には逃げるそぶりも見せず、ハサミを振り上げて立ち向かってくるカニもいたりして、小さな体に闘志満々でなんともカワユイ。

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そしてぬかるみの山道を歩くこと二十分、牛馬童子とご対面。
実に素朴な造形で、牛と馬の二頭はまるで民芸品のよう。実に愛らしい。花山法皇の熊野詣での旅姿といわれているようだ。

じっと見ていると実に心がなごむ像である。古の人々もこの姿にきっと疲れを癒されたことであろう。

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こちらは入り口近くの牛馬童子パーキングにあるオブジェ。
牛と馬の表情がなんともいえない。

但し上にまたがっても牛馬童子に見えるかは微妙。

(2004年5月)