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  • まんじまる
    ライター。得意分野は珍スポット(B級スポット)、神社仏閣、動物園・水族館など。各種イベントのプロデュースも担当。各地のカルチャースクールにて「仏像講座」「珍スポット講座(B級スポット講座)」を開講。

    ●TBS「となりのマエストロ」(10月25日)に「神社仏閣マエストロ」として出演いたしました。
    ●日本経済新聞(8月8日)に水族館専門家として登場いたしました。
    ●読売新聞(11月27日)に大仏専門家として登場いたしました。


    =現在の主な仕事=
    ●トークイベントプロデュース
    ・「水族館ナイト」「仏像マニアックス」「B級スポットナイト」などをプロデュース(今までのプロデュースイベントはこちら
    ●ライター
    ・「ワンダーJAPAN」(三才ブックス)にて「どっちの大仏ショー」連載中
    ・東京カルチャーカルチャーライブレポート担当(今までのライブレポートはこちら
    ●カルチャースクール
    ・来春よりJTBカルチャー倶楽部(埼玉県越谷市)にて「珍スポット(B級スポット)講座」、四街道カルチャーセンターにて「仏像講座」を開講


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    全国各地の動物園(ZOO)&水族館(AQUARIUM)をレポート。今まで訪問した動物園・水族館は200スポット以上!!
    メジャースポットから、うちのブログらしくちょっとマニアックなスポットまで紹介しています。
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長岡百穴(栃木県宇都宮市)

宇都宮環状線を走行していると、突然車窓に飛び込んでくる無数の穴があいた謎の岩山。
これは「長岡百穴古墳」という古墳で、古墳時代後期に盛んに作られるようになった「群集墳」と呼ばれるタイプのもの。いわば古代人の共同墓地である。(以前に当ブログで紹介した吉見百穴と同タイプ)

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百穴と名前がついているが現在残っているのは52基で、以前はもっと沢山あったようだ。無数の穴のあいたこの不思議な岩山は、環状線からもよく見える立地条件でかなりインパクトある風景。
石室内部をのぞくと、吉見百穴同様「棺座」があって、シングルルーム的なつくりになっていた。

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さてこちらの長岡百穴、古くから人々に知られていたようで、上の写真のように当時そのままの雰囲気を残してる石室はごくわずかで、既に中世の頃には石室を転用して「ほこら」として使われていたようだ。現在も「百穴観音堂」というお堂が建てられており、石室の大部分には石仏が彫られている。
古墳の解説看板はたいていこれらの後世の造形物については重要視しておらず、やはりここでもこれらの石仏に関してはほぼスルーなのだが、こちらも巡礼空間としてなんだか興味をひかれたのでじっくり見てみることにした。

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馬頭観音と不動明王の石仏。
その他の石仏は聖観音、千手観音、如意輪観音などの観音系の石仏が大多数をしめており、やはり西国坂東秩父の百観音霊場の写し霊場として作られたものかもしれない。近くには同じく石仏で有名な坂東札所の大谷寺もあるし。

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岩をそのまま彫りぬいて作った味のある手水鉢。

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岩山には上段下段の石室を結ぶように石の階段が作られ、きちんと参拝順路のようになっている。石室内には、石板(寺の名前か?)がはめ込まれていたような跡や柱があったような跡があり、側面の壁に意図的に穴をあけたような箇所も見られる。胎内めぐりなどを意識した空間作りになっていたのかもしれない。

古より先人たちの眠る聖地としてこの地がふさわしいと思ったのか、それともな~んかよくわからんけど近所に丁度いい穴があったわ~ってことなのかはしらないが、後世に観音霊場めぐりが流行し、百観音の写し霊場を作ろうと思った時、身近にあったこの百穴が思いつくのは自然の流れだろう。私はやはり古来より神聖な場所として、この地があがめられていたから選ばれたのではないかと思う。

古代ロマンを感じるだけでなく、巡礼空間の一形態としても興味深いスポットである。

(2008年4月)

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宇都宮の謎のツツジ山(栃木県宇都宮市)

宇都宮市にある「栃木県総合運動公園」。野球場や陸上競技場、サッカー場、テニスコートなどの各種スポーツ施設があり、栃木のスポーツ文化の中心的存在。また園内には遊園地や水生植物園もあり、市民の憩いの場となっている。

さてその公園に隣接して、立派な「ツツジ山」がある。

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ツツジ山はよく手入れが行き届いていて、実に見事な植栽ぶり。
訪れた時は丁度見頃の時期で、ツツジやサツキが咲き誇り、鮮やかなグラデーションを描いていた。う~ん、綺麗じゃあ~~~。
これだけ見事なツツジ山で入園も無料といううれしさ。

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・・・ところでこのツツジ山にはおそるべき謎が隠されていた。その真の正体を知ると、さらに驚くことになる。

このツツジ山の正体はこれだ~~!!

ジャ――――ン!

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前方後円墳~~~!!!!

う~む。 よく見りゃたしかに前方後円してるし・・・
この古墳は「塚山古墳」といい、この周辺に点在する古墳群の中でも一番大きな主墳で全長95メートル、5世紀後半に造られたものといわれている。

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墳丘にも登ることができ、その上から見れば花々によって形作られた前方後円墳のラインがくっきりとわかり、さらにここが古墳であることが実感できる。

前方部。

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後円部。

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そして墳丘上から下を見たところ。
う~ん、見事な手入れっぷりだ・・・・。

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後円部の墳上は一段と鮮やかな赤いツツジで装飾されていた。中心には緑の丸い植木をワンポイントで配して実にデザイン的。職人のこだわりを感じられる。

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見事なツツジをうっとりと見ていると思わず古墳であることを忘れてしまうが、通路にはこんなキャラの描かれた看板が。やっぱり古墳なんだよなあ~、ココ。

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最近は古墳を復元整備し、憩いの場として開放した古墳公園が増えてきたが、ここまで見事に植栽をし、ド派手でフレンドリーな古墳は見たことない~~~っ!!
実はこの塚山古墳は個人の所有古墳で、訪れる人に楽しんでもらおうとツツジを植えて整備してくださってるとのこと。う~んありがたや。

古墳はマニアでもないかぎりなかなか訪れる人もおらず寂しいものだが、こうしてツツジ山として親しまれているのはなんだかうれしい。
きっと古墳に眠る古代のみなさんも楽しんでくれているよね!

(2008年4月)

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七輿山古墳と五百羅漢(群馬県藤岡市)

数多くの古墳を有する古墳王国・群馬県。今までもいくつかの古墳を紹介してきたが(こちら参照)、今回紹介する「七輿山古墳」は全長146メートルの東日本では有数の大きさを誇る巨大古墳。造られたのは6世紀くらいといわれ、古墳時代としては後期にあたるが、全体的に規模縮小傾向が進む古墳時代後期において、これだけのスケールの古墳は素晴らしい。

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ひさびさに訪れたがやはりホレボレする見事な大きさ。古墳に隣接して「七輿の門」という資料館的な施設もできていた。入口にあるハニワのモザイク画がカワイイ。

ちなみに七輿山の名前は奈良時代にこの周辺を治めていた「羊太夫」という豪族が、朝廷によって謀反の疑いがあると無実の罪で討伐され、その羊太夫の七人の娘(あるいは七人の妻)が輿に乗ってこの地まで逃がれて自害し果て、ここに葬られたという伝説に由来している。
実際は古墳の造立時期と羊太夫の時代はずれておりあくまでも伝説なのであるが、この周辺地域には羊太夫伝説が数多く残り、地元の英雄であった羊太夫にこの大きな古墳の姿を重ねあわせたのだろう。

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さて七輿山古墳には古墳自体の他、もう一つ気になるものが存在する。それは五百羅漢
七輿山古墳の説明板では全くスルーされてしまっているのだが、墳上に五百羅漢の石像が並んでいるのである。この日は午前中に五百羅漢の寺定福院を訪問し、ふと以前ここで見た五百羅漢のことを思い出したので、ひさびさに訪ねてみたのである。

七輿山の五百羅漢はこんな姿である・・・。

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・・・・・。そう、みな頭をもがれた見るも無惨な姿である。無論風化によるものではなく、意識的に何者かが破壊したもの・・・。
ある者は説法中、ある者は座禅中、ある者は出かけようと草履の紐を結んだ瞬間で時が止まり、喜怒哀楽さまざまな表情で語りかけてくれていたはずの彼らは、今はその顔を失い、ずっと沈黙を続けている。
先ほど目にしたばかりの「定福院」の楽しそうな笑顔に満ち溢れた羅漢たちの姿を思い出すと、今目の前で座っているこの羅漢たちの姿にはとても胸をしめつけられる思いだ。

これは明治期の急激な改革の下、行なわれた「廃仏毀釈」の爪あと。
時の明治政府は神道を中心とした新しい国造りを促進するため、「神仏分離令」を発布し、全国各地でこのように寺院や仏像が破壊されたのである。この七輿山古墳の羅漢たちも一体一体全ての首が切断され、まとめて古墳の堀の中に投げ捨てられたという。石像そのものを全て破壊してしまうのではなく、あえて首を切断した体部を残すことによって、おそらく人々への見せしめにしたのであろう。新しい世を作るためという大義名分はあったのだろうが、とても悲しい出来事である。

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残された体を見ると羅漢たちはそれぞれ一体一体の個性を感じる見事なもので、当時の姿をぜひ見てみたかった。中には羅漢の名前が彫られた石碑もいくつかあり、以前はそれぞれの像の横にこうして名称を現した石碑があったのだろう。現在は羅漢たちはこうして一箇所に集めてあるが、もしかするとこの墳丘自体を羅漢たちが釈迦の説法を聞きに集まったという「霊鷲山」に見立てて、墳丘全体に配置されていたのかもしれない。(ちなみに寄居町の少林寺の裏山にも五百羅漢があり、そちらもこうした見立てが感じられる)

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「霊鷲山」に見立てていた根拠として、墳丘上には釈迦三尊の石仏もある。勿論こちらも首のない無惨な姿・・・。
頭を失った主人を乗せ、象もとってもせつなそうな表情・・・。

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中には頭部が発見され、元の姿に修復された羅漢もいる。
昔はみなこのように微笑んでいたのだ・・・。

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羅漢像の間を歩いていたら、一体の羅漢の頭を見つけた。
どうしても彼の体を見つけてあげたくて、一体一体見てまわったが、ついに該当する体は見つけることはできなかった。ごめん・・・。
体部も破壊されてしまっている像もあるので多分そのうちの一つだったのかもしれない。いつの日か無事に修復されることを願ってその場を後にした。

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実は七輿山古墳には20年ぶりくらいの訪問となる。小学生の頃から古墳好きだった私は、休日の度にひたすら自転車をこいで、埼玉、群馬、栃木など北関東の古墳を訪ねてまわっていた。(ほんと我ながらカワリモノだこと・・・)そしてある日、群馬の古墳界の大物スターであるこの七輿山古墳に来た時、墳上にズラリと並ぶこの「首なし羅漢像」に遭遇し、あまりの衝撃的光景に卒倒しそうになりながら、ほうほうの体で帰ったことがある。まさに少年時代は恐怖!もう恐怖の一言しかなかった。それ以来私にとってトラウマ的スポットであった。

しかしあれから月日が経ち、こうして各地の古寺や史跡を巡っているうちに考えも変わってきたのか、ひさびさに対面した羅漢たちの姿はひじょうに心をうち、感動的な再会であった。ああ、来てみて本当によかった。

そして羅漢たちの姿は遠い昔の羊太夫の伝説と重なって見えてくる。この地を舞台にして起きた二度の悲劇。羊太夫一族の最期と五百羅漢たちの受難・・・。
いずれも理不尽な暴挙による無実の悲劇である。

再びそんなことが繰り返されることが無いよう、彼らは無言で伝えてくれている。

(2007年2月)

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土肥金山(静岡県伊豆市)

土肥金山は佐渡に次ぐ、日本第二の産出量を誇った金山。室町時代から昭和40年代まで採掘され、現在は観光鉱山として公開されている。

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さて観光鉱山といえば、つきものなのは人形による往時の再現。こちらでももちろん人形のみなさん、大活躍しております。
うひゃああ~~!裸!鉢巻!褌!熱気むんむんの漢の世界~~~!

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金山では夫婦で働く人たちも多かったとか。せっせと仕事中。
お父さん、がんばって!

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「あ~、オラのこと呼んだかね~~~」ぐい~~ん。
首曲がりすぎ!怖いって~~~っ!

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土肥といえば温泉も有名。その温泉も金の採掘時に沸いたものだとか。
というわけで金山内にも温泉入浴施設完備・・・。うっひひ、おぬしも悪よのう~~。

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男たちもひとっ風呂あびて一服中。つーか下のオッサン、リラックスしすぎ。もう健康ランドだろ、これ!

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土肥金山のもう一つの楽しみは金塊タッチコーナー。本物の金のインゴッドに触ることができるのだ~~。

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重さ12.5キロ。う~んずっしり~~。

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ぐぐぐ、ぐ~~~~~。

・・・・む、無理でした。(おいっ!)

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そしてさらにスゴイぜ!250キロの大金塊~~~!

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問答無用のド迫力!す、すごすぎる~~~!
ああ至福・・・。

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親子で顔出し・・・。
後ろには御用金を運ぶ人形つき。ちょっと豪華かも。

(2007年6月)

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風車の弥七の墓(茨城県常陸大宮市)

えーと内藤剛志がなんと二代目「風車の弥七」に決まったそうで。
どちらかというと「口車の弥七」って気も・・・。(おい)

というわけで、風車の弥七復活記念!約10年ぶりに常陸大宮市にある「風車の弥七の墓」を再訪問。(前回はこちら参照)
あれから時代劇「水戸黄門」も代替わりを繰り返し、弥七が一行から姿を消して久しいが(まあ夕方に再放送バンバンやってるけど・・・)、こちらでは弥七人気はいまだ健在。案内看板もより弥七度がアップしてるぞ~!

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弥七の墓の石標も石作りにリニューアル。隣の「お新の墓」も立派な石標が立てられていた。前回来た時はなんとな~くボカしたニュアンスだったが、奥さんの名前、もうお新で確定のようで・・・。

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墓前には供えられた風車がいっぱい。中には地元の子供たちによるユニークな作品もあったりしてほほえましい。

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そして弥七の墓の隣には、前回来た時はいなかった謎のデカい坊さんが・・・。あんたいったい誰じゃ~!?ハッ、もしかして「鉄羅漢玄竜」!弥七大ピーンチ!(またマニアックなネタを・・・)
説明によると、このお坊さんは常不軽菩薩といい、釈迦如来の前世の姿とのこと。こりゃ失礼しました~。

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弥七の墓の近くには「弥七とお新の住居跡」まである。
おぉ!田毎庵!(違うって)

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住居跡の向い側を見てみると、なんと弥七とお新の新居が!
壁にはトレードマークの風車をあしらってオッシャレ~。

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と思いきや、実は公衆トイレ・・・、ズコッ。

そしてさらに入口をよーく見てみれば・・・、

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・・・・・・・・。もう隣は言うまでもありませんね。

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風車の弥七、フォーエバ―――ッ!!

(2007年2月)

楊貴妃の墓(山口県長門市)

キリストモーゼに続く「あの人も日本に来ていた!」シリーズ第3弾!今度はなんと「楊貴妃」だ~~!

楊貴妃といえば、絶世の美女として知られ、唐の玄宗皇帝がその美貌の虜になり国政をおろそかにし、彼女のために贅沢の限りをつくし、あわや国を滅亡寸前にまで追いやった「傾国の美女」である。そしてその最期は反乱軍によって処刑されたといわれている。

しかーし!実は楊貴妃は密かに唐を脱出し、日本へと辿りついていたいうのだ。それが長門市油谷の「楊貴妃の里」。二尊院という寺に楊貴妃の墓があり、中国風にディスプレイされた公園には楊貴妃の像が立っている。

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ジャーン!ここが玄宗と楊貴妃が愛をはぐくんだ興慶宮!
・・・って、ちょっと無理があるか。ちなみに左奥にも中国風の公衆トイレがあり。

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楊貴妃の墓はとくにチャイニーズな感じではなく、ごくフツーの古い石塔でした。看板なかったらわからないかも、うーむ。でも目の前には青い海が広がり、見晴らしはとっても良かったですよ。きっと楊貴妃も遠い海の向こうの祖国を静かに見つめているのであろう。

お地蔵さんはちょっぴりチャイニーズしてました。

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楊貴妃の里を走るその名も「楊貴妃ロマンロード」。
「ロマン」って言葉、この手のスポットではなんだかもうすっかりおなじみになりつつあるような・・・。

(2006年9月)

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モーゼの墓(石川県宝達志水町)

以前に青森のキリストの墓を紹介したが、今回はなんとモーゼの墓。モーゼも日本に来ていた~~!?
ちなみにモーゼといえば、私の愛読書の「ドラえもん」の道具に「モーゼステッキ」「十戒石板」となんと二つもモーゼの話が元ネタなのがありますね。とりあえずこちらを読んできたので事前学習もバッチリだ。(おい)

さてモーゼの墓があるのは石川県宝達志水町の宝達山。一帯は「伝説の森 モーゼパーク」として整備され、庭園もそれっぽい感じの作りになっている。

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園内案内図。えーとこちらはモーゼなんですかねえ・・・?
なんだかドリフ大爆笑の「とんでもねえあたしゃ神様だよ」にしか見えませんけど・・・。

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モーゼの墓はここからさらに山道を登った山中にある。山道の名前は「ロマンの小路」。ロマンですよ、ロマン。もうこの名前にこの石川のモーゼ伝説の全てが集約されているような・・・。

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山道を歩くこと数分。モーゼの墓へと到着。
三ツ子塚という三つの円墳がモーゼとその一族の墓だということだ。この地の伝説によれば、モーゼはエジプトを脱出した後、この宝達山までやって来て十戒を授かったとのことである・・・。

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個人的にはこちらにも注目。おぉ!末森城!
末森城とは同じく私の愛読書の「花の慶次」に出てくる(えーと、愛読書が漫画ばっかですが、そこはスルーしといてください・・・)、ファンにはもうおなじみの前田利家と佐々成政との戦さの舞台となったところ。末森城もこのすぐ近くにあるんですね。あの話は面白かったなあ~。盟友の奥村助右衛門をはじめ、村井若水、陽水親子、敵の佐々成政との漢たちの熱いやり取り!そしてなんといっても慶次と助右衛門の小便鉄砲がもう痛快!!
・・・って、モーゼの話はいったいどうした~~!?

だがそれがいい。(←これがオチかよ!)

(2006年8月)

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勝鬨橋(東京都中央区)

築地市場の近くにかかる勝鬨橋。
水上バスで何回か下をくぐったことはあるものの実際に橋を渡るのは初めてだ。

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勝鬨橋の名前を有名にしているのは、この橋が可動橋であること。橋の中央部分が開閉し、船を通すことができるようになっている。残念ながら現在は開かずの橋。
勝鬨橋が完成したのは1940年、以来30年の間稼働し続けたが、次第に開閉の需要が無くなり(通航船は少なくなっていき、逆に通行車はどんどん増えたので)、1970年についに開かずの橋となったのである。

橋の欄干に当時の様子を描いた図があったので、こちらを見てもらえばだいたいのイメージはわかると思う。

ゴゴゴ・・・。

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パカッ。

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現在はもう開くことはないが、当時の名残はまだいくつか残っている。

ここが開閉した部分。現在は橋上は鉄板で補強されているが、横から見るとかみ合わせ具合がよくわかる。

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可動部分の両端に運転室も残っている。

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運転室の下には信号が。開閉前にはこの信号で知らせたのだろう。役目を終え、今は静かに目を閉じて眠っているかのようだ。

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橋のたもとに「かちどき橋の資料館」があり、当時使われていた機械や当時の写真、復元模型などが展示されている。
こちらの模型、橋が開くのはもちろん、開閉までの行程もわかりやすく再現されてて、信号が点灯したり、当時橋の上を運行していた都電まで走ったりと芸が細かい!うーんマニアック。

(2006年2月)

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尖石縄文考古館・中ッ原縄文公園(長野県茅野市)

国宝土偶「縄文のビーナス」(棚畑遺跡出土)で知られる茅野市。市内のあちこちから縄文時代の遺跡が発掘され、膨大な数の土器土偶が出土している。とくに有名なのは国の特別史跡にも指定されている尖石遺跡で、この遺跡発掘によって縄文時代にも集落があったことが初めて確認された記念すべき遺跡である。現在は遺跡公園として整備され、尖石縄文考古館では縄文のビーナスをはじめとする縄文時代の土器土偶が一堂に展示されている。ショップでは土偶グッズも充実。まさに土偶ファン垂涎のスポットである。

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こんなキャラクターも。「ビーナちゃん」カワイイ~~。
さすが縄文のスーパーアイドル!

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そして尖石縄文考古館のもう一人の人気者が「仮面の女神」である。2000年に中ッ原遺跡より発掘されたこの土偶は三角形の仮面をつけたインパクトのある御方。まさに縄文時代のマスクヒーロー。今年国の重要文化財にも指定された現在メキメキと売り出し中のアイドル土偶である。

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こちらの中ッ原遺跡も現在遺跡公園として整備され、仮面の女神の出土時の再現模型や発掘された八本の柱跡が再現されている。もう完全にスター街道ばく進中!

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「縄文のビーナス」「仮面の女神」の二大土偶アイドルの豪華競演を見れるのは尖石縄文考古館だけ!土偶ファンは今すぐ茅野に急げ~~!!

(2006年8月)

皆神山ピラミッド(長野県長野市)

城下町の風情あふれる歴史の町、信州松代。その町外れに皆神山という山がある。まあ一見何の変哲もない山であるが、登り口にある看板に注目してもらいたい。

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「皆神神社 ピラミッド参道入口」・・・。
なんとこの皆神山、古代人の作った人工ピラミッドとのことだ。たしかに三角形の山だけど・・・、ピラミッドって~~~~!?

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とりあえず参道を上ってみる。くねくねとした細い山道をひたすら上っていくと、やがて皆神神社へと辿りつく。こちらもごく普通の神社のようだが、説明板を読んでみると、やはり皆神山は世界最大最古のピラミッドとあり、古代人が反重力パワーで岩を浮かして作ったとか、須佐之男命は科学者集団のユニット名だとか独自の説がズラズラと・・・。うーむ。

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まあ本当にここがピラミッドなのかどうかはわからないが、この地は昭和40年から数年間にわたって発生した松代群発地震の震源地であり(おそらくその頃からパワースポットとして注目されはじめたのだと思うが)、地震学地質学的にも重要なポイントであることは事実である。

(2006年8月)

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