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  • まんじまる
    フリーライター。得意分野はB級スポット、神社仏閣、動物園・水族館など。各種イベントのプロデュースも担当。
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  • まんじまる流 Z&A =動物園・水族館ガイド=

    全国各地の動物園(ZOO)&水族館(AQUARIUM)をレポート。今まで訪問した動物園・水族館は200スポット以上!!
    メジャースポットから、うちのブログらしくちょっとマニアックなスポットまで紹介しています。
    こちらもどうぞよろしく。

長岡百穴(栃木県宇都宮市)

宇都宮環状線を走行していると、突然車窓に飛び込んでくる無数の穴があいた謎の岩山。
これは「長岡百穴古墳」という古墳で、古墳時代後期に盛んに作られるようになった「群集墳」と呼ばれるタイプのもの。いわば古代人の共同墓地である。(以前に当ブログで紹介した吉見百穴と同タイプ)

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百穴と名前がついているが現在残っているのは52基で、以前はもっと沢山あったようだ。無数の穴のあいたこの不思議な岩山は、環状線からもよく見える立地条件でかなりインパクトある風景。
石室内部をのぞくと、吉見百穴同様「棺座」があって、シングルルーム的なつくりになっていた。

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さてこちらの長岡百穴、古くから人々に知られていたようで、上の写真のように当時そのままの雰囲気を残してる石室はごくわずかで、既に中世の頃には石室を転用して「ほこら」として使われていたようだ。現在も「百穴観音堂」というお堂が建てられており、石室の大部分には石仏が彫られている。
古墳の解説看板はたいていこれらの後世の造形物については重要視しておらず、やはりここでもこれらの石仏に関してはほぼスルーなのだが、こちらも巡礼空間としてなんだか興味をひかれたのでじっくり見てみることにした。

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馬頭観音と不動明王の石仏。
その他の石仏は聖観音、千手観音、如意輪観音などの観音系の石仏が大多数をしめており、やはり西国坂東秩父の百観音霊場の写し霊場として作られたものかもしれない。近くには同じく石仏で有名な坂東札所の大谷寺もあるし。

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岩をそのまま彫りぬいて作った味のある手水鉢。

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岩山には上段下段の石室を結ぶように石の階段が作られ、きちんと参拝順路のようになっている。石室内には、石板(寺の名前か?)がはめ込まれていたような跡や柱があったような跡があり、側面の壁に意図的に穴をあけたような箇所も見られる。胎内めぐりなどを意識した空間作りになっていたのかもしれない。

古より先人たちの眠る聖地としてこの地がふさわしいと思ったのか、それともな~んかよくわからんけど近所に丁度いい穴があったわ~ってことなのかはしらないが、後世に観音霊場めぐりが流行し、百観音の写し霊場を作ろうと思った時、身近にあったこの百穴が思いつくのは自然の流れだろう。私はやはり古来より神聖な場所として、この地があがめられていたから選ばれたのではないかと思う。

古代ロマンを感じるだけでなく、巡礼空間の一形態としても興味深いスポットである。

(2008年4月)

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宇都宮の謎のツツジ山(栃木県宇都宮市)

宇都宮市にある「栃木県総合運動公園」。野球場や陸上競技場、サッカー場、テニスコートなどの各種スポーツ施設があり、栃木のスポーツ文化の中心的存在。また園内には遊園地や水生植物園もあり、市民の憩いの場となっている。

さてその公園に隣接して、立派な「ツツジ山」がある。

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ツツジ山はよく手入れが行き届いていて、実に見事な植栽ぶり。
訪れた時は丁度見頃の時期で、ツツジやサツキが咲き誇り、鮮やかなグラデーションを描いていた。う~ん、綺麗じゃあ~~~。
これだけ見事なツツジ山で入園も無料といううれしさ。

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・・・ところでこのツツジ山にはおそるべき謎が隠されていた。その真の正体を知ると、さらに驚くことになる。

このツツジ山の正体はこれだ~~!!

ジャ――――ン!

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前方後円墳~~~!!!!

う~む。 よく見りゃたしかに前方後円してるし・・・
この古墳は「塚山古墳」といい、この周辺に点在する古墳群の中でも一番大きな主墳で全長95メートル、5世紀後半に造られたものといわれている。

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墳丘にも登ることができ、その上から見れば花々によって形作られた前方後円墳のラインがくっきりとわかり、さらにここが古墳であることが実感できる。

前方部。

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後円部。

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そして墳丘上から下を見たところ。
う~ん、見事な手入れっぷりだ・・・・。

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後円部の墳上は一段と鮮やかな赤いツツジで装飾されていた。中心には緑の丸い植木をワンポイントで配して実にデザイン的。職人のこだわりを感じられる。

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見事なツツジをうっとりと見ていると思わず古墳であることを忘れてしまうが、通路にはこんなキャラの描かれた看板が。やっぱり古墳なんだよなあ~、ココ。

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最近は古墳を復元整備し、憩いの場として開放した古墳公園が増えてきたが、ここまで見事に植栽をし、ド派手でフレンドリーな古墳は見たことない~~~っ!!
実はこの塚山古墳は個人の所有古墳で、訪れる人に楽しんでもらおうとツツジを植えて整備してくださってるとのこと。う~んありがたや。

古墳はマニアでもないかぎりなかなか訪れる人もおらず寂しいものだが、こうしてツツジ山として親しまれているのはなんだかうれしい。
きっと古墳に眠る古代のみなさんも楽しんでくれているよね!

(2008年4月)

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七輿山古墳と五百羅漢(群馬県藤岡市)

数多くの古墳を有する古墳王国・群馬県。今までもいくつかの古墳を紹介してきたが(こちら参照)、今回紹介する「七輿山古墳」は全長146メートルの東日本では有数の大きさを誇る巨大古墳。造られたのは6世紀くらいといわれ、古墳時代としては後期にあたるが、全体的に規模縮小傾向が進む古墳時代後期において、これだけのスケールの古墳は素晴らしい。

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ひさびさに訪れたがやはりホレボレする見事な大きさ。古墳に隣接して「七輿の門」という資料館的な施設もできていた。入口にあるハニワのモザイク画がカワイイ。

ちなみに七輿山の名前は奈良時代にこの周辺を治めていた「羊太夫」という豪族が、朝廷によって謀反の疑いがあると無実の罪で討伐され、その羊太夫の七人の娘(あるいは七人の妻)が輿に乗ってこの地まで逃がれて自害し果て、ここに葬られたという伝説に由来している。
実際は古墳の造立時期と羊太夫の時代はずれておりあくまでも伝説なのであるが、この周辺地域には羊太夫伝説が数多く残り、地元の英雄であった羊太夫にこの大きな古墳の姿を重ねあわせたのだろう。

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さて七輿山古墳には古墳自体の他、もう一つ気になるものが存在する。それは五百羅漢
七輿山古墳の説明板では全くスルーされてしまっているのだが、墳上に五百羅漢の石像が並んでいるのである。この日は午前中に五百羅漢の寺定福院を訪問し、ふと以前ここで見た五百羅漢のことを思い出したので、ひさびさに訪ねてみたのである。

七輿山の五百羅漢はこんな姿である・・・。

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・・・・・。そう、みな頭をもがれた見るも無惨な姿である。無論風化によるものではなく、意識的に何者かが破壊したもの・・・。
ある者は説法中、ある者は座禅中、ある者は出かけようと草履の紐を結んだ瞬間で時が止まり、喜怒哀楽さまざまな表情で語りかけてくれていたはずの彼らは、今はその顔を失い、ずっと沈黙を続けている。
先ほど目にしたばかりの「定福院」の楽しそうな笑顔に満ち溢れた羅漢たちの姿を思い出すと、今目の前で座っているこの羅漢たちの姿にはとても胸をしめつけられる思いだ。

これは明治期の急激な改革の下、行なわれた「廃仏毀釈」の爪あと。
時の明治政府は神道を中心とした新しい国造りを促進するため、「神仏分離令」を発布し、全国各地でこのように寺院や仏像が破壊されたのである。この七輿山古墳の羅漢たちも一体一体全ての首が切断され、まとめて古墳の堀の中に投げ捨てられたという。石像そのものを全て破壊してしまうのではなく、あえて首を切断した体部を残すことによって、おそらく人々への見せしめにしたのであろう。新しい世を作るためという大義名分はあったのだろうが、とても悲しい出来事である。

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残された体を見ると羅漢たちはそれぞれ一体一体の個性を感じる見事なもので、当時の姿をぜひ見てみたかった。中には羅漢の名前が彫られた石碑もいくつかあり、以前はそれぞれの像の横にこうして名称を現した石碑があったのだろう。現在は羅漢たちはこうして一箇所に集めてあるが、もしかするとこの墳丘自体を羅漢たちが釈迦の説法を聞きに集まったという「霊鷲山」に見立てて、墳丘全体に配置されていたのかもしれない。(ちなみに寄居町の少林寺の裏山にも五百羅漢があり、そちらもこうした見立てが感じられる)

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「霊鷲山」に見立てていた根拠として、墳丘上には釈迦三尊の石仏もある。勿論こちらも首のない無惨な姿・・・。
頭を失った主人を乗せ、象もとってもせつなそうな表情・・・。

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中には頭部が発見され、元の姿に修復された羅漢もいる。
昔はみなこのように微笑んでいたのだ・・・。

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羅漢像の間を歩いていたら、一体の羅漢の頭を見つけた。
どうしても彼の体を見つけてあげたくて、一体一体見てまわったが、ついに該当する体は見つけることはできなかった。ごめん・・・。
体部も破壊されてしまっている像もあるので多分そのうちの一つだったのかもしれない。いつの日か無事に修復されることを願ってその場を後にした。

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実は七輿山古墳には20年ぶりくらいの訪問となる。小学生の頃から古墳好きだった私は、休日の度にひたすら自転車をこいで、埼玉、群馬、栃木など北関東の古墳を訪ねてまわっていた。(ほんと我ながらカワリモノだこと・・・)そしてある日、群馬の古墳界の大物スターであるこの七輿山古墳に来た時、墳上にズラリと並ぶこの「首なし羅漢像」に遭遇し、あまりの衝撃的光景に卒倒しそうになりながら、ほうほうの体で帰ったことがある。まさに少年時代は恐怖!もう恐怖の一言しかなかった。それ以来私にとってトラウマ的スポットであった。

しかしあれから月日が経ち、こうして各地の古寺や史跡を巡っているうちに考えも変わってきたのか、ひさびさに対面した羅漢たちの姿はひじょうに心をうち、感動的な再会であった。ああ、来てみて本当によかった。

そして羅漢たちの姿は遠い昔の羊太夫の伝説と重なって見えてくる。この地を舞台にして起きた二度の悲劇。羊太夫一族の最期と五百羅漢たちの受難・・・。
いずれも理不尽な暴挙による無実の悲劇である。

再びそんなことが繰り返されることが無いよう、彼らは無言で伝えてくれている。

(2007年2月)

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土肥金山(静岡県伊豆市)

土肥金山は佐渡に次ぐ、日本第二の産出量を誇った金山。室町時代から昭和40年代まで採掘され、現在は観光鉱山として公開されている。

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さて観光鉱山といえば、つきものなのは人形による往時の再現。こちらでももちろん人形のみなさん、大活躍しております。
うひゃああ~~!裸!鉢巻!褌!熱気むんむんの漢の世界~~~!

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金山では夫婦で働く人たちも多かったとか。せっせと仕事中。
お父さん、がんばって!

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「あ~、オラのこと呼んだかね~~~」ぐい~~ん。
首曲がりすぎ!怖いって~~~っ!

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土肥といえば温泉も有名。その温泉も金の採掘時に沸いたものだとか。
というわけで金山内にも温泉入浴施設完備・・・。うっひひ、おぬしも悪よのう~~。

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男たちもひとっ風呂あびて一服中。つーか下のオッサン、リラックスしすぎ。もう健康ランドだろ、これ!

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土肥金山のもう一つの楽しみは金塊タッチコーナー。本物の金のインゴッドに触ることができるのだ~~。

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重さ12.5キロ。う~んずっしり~~。

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ぐぐぐ、ぐ~~~~~。

・・・・む、無理でした。(おいっ!)

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そしてさらにスゴイぜ!250キロの大金塊~~~!

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問答無用のド迫力!す、すごすぎる~~~!
ああ至福・・・。

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親子で顔出し・・・。
後ろには御用金を運ぶ人形つき。ちょっと豪華かも。

(2007年6月)

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風車の弥七の墓(茨城県常陸大宮市)

えーと内藤剛志がなんと二代目「風車の弥七」に決まったそうで。
どちらかというと「口車の弥七」って気も・・・。(おい)

というわけで、風車の弥七復活記念!約10年ぶりに常陸大宮市にある「風車の弥七の墓」を再訪問。(前回はこちら参照)
あれから時代劇「水戸黄門」も代替わりを繰り返し、弥七が一行から姿を消して久しいが(まあ夕方に再放送バンバンやってるけど・・・)、こちらでは弥七人気はいまだ健在。案内看板もより弥七度がアップしてるぞ~!

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弥七の墓の石標も石作りにリニューアル。隣の「お新の墓」も立派な石標が立てられていた。前回来た時はなんとな~くボカしたニュアンスだったが、奥さんの名前、もうお新で確定のようで・・・。

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墓前には供えられた風車がいっぱい。中には地元の子供たちによるユニークな作品もあったりしてほほえましい。

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そして弥七の墓の隣には、前回来た時はいなかった謎のデカい坊さんが・・・。あんたいったい誰じゃ~!?ハッ、もしかして「鉄羅漢玄竜」!弥七大ピーンチ!(またマニアックなネタを・・・)
説明によると、このお坊さんは常不軽菩薩といい、釈迦如来の前世の姿とのこと。こりゃ失礼しました~。

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弥七の墓の近くには「弥七とお新の住居跡」まである。
おぉ!田毎庵!(違うって)

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住居跡の向い側を見てみると、なんと弥七とお新の新居が!
壁にはトレードマークの風車をあしらってオッシャレ~。

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と思いきや、実は公衆トイレ・・・、ズコッ。

そしてさらに入口をよーく見てみれば・・・、

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・・・・・・・・。もう隣は言うまでもありませんね。

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風車の弥七、フォーエバ―――ッ!!

(2007年2月)

楊貴妃の墓(山口県長門市)

キリストモーゼに続く「あの人も日本に来ていた!」シリーズ第3弾!今度はなんと「楊貴妃」だ~~!

楊貴妃といえば、絶世の美女として知られ、唐の玄宗皇帝がその美貌の虜になり国政をおろそかにし、彼女のために贅沢の限りをつくし、あわや国を滅亡寸前にまで追いやった「傾国の美女」である。そしてその最期は反乱軍によって処刑されたといわれている。

しかーし!実は楊貴妃は密かに唐を脱出し、日本へと辿りついていたいうのだ。それが長門市油谷の「楊貴妃の里」。二尊院という寺に楊貴妃の墓があり、中国風にディスプレイされた公園には楊貴妃の像が立っている。

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ジャーン!ここが玄宗と楊貴妃が愛をはぐくんだ興慶宮!
・・・って、ちょっと無理があるか。ちなみに左奥にも中国風の公衆トイレがあり。

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楊貴妃の墓はとくにチャイニーズな感じではなく、ごくフツーの古い石塔でした。看板なかったらわからないかも、うーむ。でも目の前には青い海が広がり、見晴らしはとっても良かったですよ。きっと楊貴妃も遠い海の向こうの祖国を静かに見つめているのであろう。

お地蔵さんはちょっぴりチャイニーズしてました。

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楊貴妃の里を走るその名も「楊貴妃ロマンロード」。
「ロマン」って言葉、この手のスポットではなんだかもうすっかりおなじみになりつつあるような・・・。

(2006年9月)

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モーゼの墓(石川県宝達志水町)

以前に青森のキリストの墓を紹介したが、今回はなんとモーゼの墓。モーゼも日本に来ていた~~!?
ちなみにモーゼといえば、私の愛読書の「ドラえもん」の道具に「モーゼステッキ」「十戒石板」となんと二つもモーゼの話が元ネタなのがありますね。とりあえずこちらを読んできたので事前学習もバッチリだ。(おい)

さてモーゼの墓があるのは石川県宝達志水町の宝達山。一帯は「伝説の森 モーゼパーク」として整備され、庭園もそれっぽい感じの作りになっている。

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園内案内図。えーとこちらはモーゼなんですかねえ・・・?
なんだかドリフ大爆笑の「とんでもねえあたしゃ神様だよ」にしか見えませんけど・・・。

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モーゼの墓はここからさらに山道を登った山中にある。山道の名前は「ロマンの小路」。ロマンですよ、ロマン。もうこの名前にこの石川のモーゼ伝説の全てが集約されているような・・・。

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山道を歩くこと数分。モーゼの墓へと到着。
三ツ子塚という三つの円墳がモーゼとその一族の墓だということだ。この地の伝説によれば、モーゼはエジプトを脱出した後、この宝達山までやって来て十戒を授かったとのことである・・・。

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個人的にはこちらにも注目。おぉ!末森城!
末森城とは同じく私の愛読書の「花の慶次」に出てくる(えーと、愛読書が漫画ばっかですが、そこはスルーしといてください・・・)、ファンにはもうおなじみの前田利家と佐々成政との戦さの舞台となったところ。末森城もこのすぐ近くにあるんですね。あの話は面白かったなあ~。盟友の奥村助右衛門をはじめ、村井若水、陽水親子、敵の佐々成政との漢たちの熱いやり取り!そしてなんといっても慶次と助右衛門の小便鉄砲がもう痛快!!
・・・って、モーゼの話はいったいどうした~~!?

だがそれがいい。(←これがオチかよ!)

(2006年8月)

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勝鬨橋(東京都中央区)

築地市場の近くにかかる勝鬨橋。
水上バスで何回か下をくぐったことはあるものの実際に橋を渡るのは初めてだ。

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勝鬨橋の名前を有名にしているのは、この橋が可動橋であること。橋の中央部分が開閉し、船を通すことができるようになっている。残念ながら現在は開かずの橋。
勝鬨橋が完成したのは1940年、以来30年の間稼働し続けたが、次第に開閉の需要が無くなり(通航船は少なくなっていき、逆に通行車はどんどん増えたので)、1970年についに開かずの橋となったのである。

橋の欄干に当時の様子を描いた図があったので、こちらを見てもらえばだいたいのイメージはわかると思う。

ゴゴゴ・・・。

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パカッ。

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現在はもう開くことはないが、当時の名残はまだいくつか残っている。

ここが開閉した部分。現在は橋上は鉄板で補強されているが、横から見るとかみ合わせ具合がよくわかる。

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可動部分の両端に運転室も残っている。

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運転室の下には信号が。開閉前にはこの信号で知らせたのだろう。役目を終え、今は静かに目を閉じて眠っているかのようだ。

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橋のたもとに「かちどき橋の資料館」があり、当時使われていた機械や当時の写真、復元模型などが展示されている。
こちらの模型、橋が開くのはもちろん、開閉までの行程もわかりやすく再現されてて、信号が点灯したり、当時橋の上を運行していた都電まで走ったりと芸が細かい!うーんマニアック。

(2006年2月)

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尖石縄文考古館・中ッ原縄文公園(長野県茅野市)

国宝土偶「縄文のビーナス」(棚畑遺跡出土)で知られる茅野市。市内のあちこちから縄文時代の遺跡が発掘され、膨大な数の土器土偶が出土している。とくに有名なのは国の特別史跡にも指定されている尖石遺跡で、この遺跡発掘によって縄文時代にも集落があったことが初めて確認された記念すべき遺跡である。現在は遺跡公園として整備され、尖石縄文考古館では縄文のビーナスをはじめとする縄文時代の土器土偶が一堂に展示されている。ショップでは土偶グッズも充実。まさに土偶ファン垂涎のスポットである。

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こんなキャラクターも。「ビーナちゃん」カワイイ~~。
さすが縄文のスーパーアイドル!

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そして尖石縄文考古館のもう一人の人気者が「仮面の女神」である。2000年に中ッ原遺跡より発掘されたこの土偶は三角形の仮面をつけたインパクトのある御方。まさに縄文時代のマスクヒーロー。今年国の重要文化財にも指定された現在メキメキと売り出し中のアイドル土偶である。

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こちらの中ッ原遺跡も現在遺跡公園として整備され、仮面の女神の出土時の再現模型や発掘された八本の柱跡が再現されている。もう完全にスター街道ばく進中!

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「縄文のビーナス」「仮面の女神」の二大土偶アイドルの豪華競演を見れるのは尖石縄文考古館だけ!土偶ファンは今すぐ茅野に急げ~~!!

(2006年8月)

皆神山ピラミッド(長野県長野市)

城下町の風情あふれる歴史の町、信州松代。その町外れに皆神山という山がある。まあ一見何の変哲もない山であるが、登り口にある看板に注目してもらいたい。

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「皆神神社 ピラミッド参道入口」・・・。
なんとこの皆神山、古代人の作った人工ピラミッドとのことだ。たしかに三角形の山だけど・・・、ピラミッドって~~~~!?

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とりあえず参道を上ってみる。くねくねとした細い山道をひたすら上っていくと、やがて皆神神社へと辿りつく。こちらもごく普通の神社のようだが、説明板を読んでみると、やはり皆神山は世界最大最古のピラミッドとあり、古代人が反重力パワーで岩を浮かして作ったとか、須佐之男命は科学者集団のユニット名だとか独自の説がズラズラと・・・。うーむ。

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まあ本当にここがピラミッドなのかどうかはわからないが、この地は昭和40年から数年間にわたって発生した松代群発地震の震源地であり(おそらくその頃からパワースポットとして注目されはじめたのだと思うが)、地震学地質学的にも重要なポイントであることは事実である。

(2006年8月)

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日本ロケット発祥記念之碑(秋田県由利本荘市)

国道7号で道川海岸を通りかかると、「日本ロケット発祥の地」の表示があったので寄ってみた。以前、ロケットの元祖として龍勢を紹介したが、こちらは現在みられる近代的なロケットが初めて打ち上げられた場所である。昭和30年8月6日、この地で国産発のペンシルロケットが発射された。
そしてこちらがその「日本ロケット発祥記念之碑」。中央にシンプルなデザインのロケットが彫刻されたちょっとユニークな石碑である。

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ちなみに第一号のロケットはペンシルロケットの名前通り、長さ23センチ、直径1.8センチの超小型サイズ。記念碑のデザインそのまんまの超シンプルロケットで、一歩間違えりゃ小学生の夏休みの自由研究かといった代物であったが、これが見事高度600メートルまで打ち上げ成功。これに勢いをつけた日本はロケット開発計画をどんどん押し進め、昭和36年に打ち上げられたカッパーロケットは全長12.5メートル、高度250キロメートルの堂々の宇宙空間まで達するロケットを完成させたのである。そして種子島に基地が移る昭和37年までこの地で八十数本ものロケットが打ち上げられたのである。
その後も世界4番目の人工衛星「おおすみ」を打ち上げたり、金星探査ロケット「おおとり」でR惑星に行ったり、シーボーズを宇宙の怪獣墓場に打ち込んだりと目覚しい発展をとげたのはみなさんも知るところですね・・・、あ、最後の二つは怪獣図鑑からのデータが混じってました、スイマセン。(おい)

現在の道川海岸は記念碑以外、なーんにもない砂浜が広がっているだけだが、かつては日本で一番宇宙に近い場所だった。宇宙への夢に情熱をかけた人々の熱い魂は今もまだ残っているような気がした。

(2006年6月)

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九戸城跡・岩谷観音堂(岩手県二戸市)

みちのくの古城、九戸城。現在は建物は失われ、草に覆われた城跡のみがひっそりと残る。実はこの地で戦国時代最後の合戦が行われたことをご存知だろうか。
歴史の教科書では豊臣秀吉の天下統一は小田原攻めで全て終了したかのように記述されている。「関東の北条氏を滅ぼし、東北の伊達政宗は参陣して帰属し、これにて天下統一が成し遂げられた」といった具合にだ。しかし実はそれで終わったわけではなかったのである。

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九戸城は15世紀に、この地の有力氏族の一つ、九戸氏によって築城され、代々この地を治めてきた。そして最後の城主九戸政実は領民の信頼も厚く、武門にも秀でた人物であった。しかし時代は、政実に恐るべき悲劇をもたらすのである。
時は豊臣秀吉による天下統一へと動いていた。この地のもう一つの有力氏族、南部氏の当主南部信直は、時流を見極め小田原の秀吉の下へと参陣し、この地を治める「本領安堵」の約束をとりつけてしまうのである。つまり、いつのまにかこの地は南部氏の領地と公認され、政実は敵対勢力とされてしまったのである。そんなことは無論納得いくはずはなく、政実は五千人の兵をもって挙兵。しかし対する南部側には強大な秀吉軍六万の後押しがあり、全く勝ち目のない戦いであった。最後は勝てぬと悟った政実は、秀吉軍の浅野長政の「降伏すれば女子供や家来の命を助ける」という条件をのみ降伏したものの、約束は裏切られ、一族家臣全員皆殺しにされたという・・・。

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そしてこの地は南部氏のものとなった。九戸城は「福岡城」と改名され、南部氏の居城となった。しかし信直の次の利直の時代にはもうこの地から盛岡へと居城を移しているのである。あくまでも領民の心は九戸氏を慕い続け、南部氏はそれを痛いほどに感じ、とてもここに居続けることはできなかったのだろう。現在の城跡も正確には南部氏が九戸城の跡に築城した福岡城の跡なのであるが、誰も福岡城と呼ぶものはいないそうだ。

展示室ではパネルやビデオで九戸城の歴史と政実について解説しているのでぜひご覧になっていただきたい。九戸城への思い入れがひしひしと伝わるかなり熱い内容ですよ。

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九戸城の北西にある岩谷観音堂は、断崖の洞窟にめりこんでいる珍しいスタイルのお堂。対岸から赤い橋が掛けられている。奥州糠部三十三観音の一つでもある。

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そして境内の片隅に「千補陀堂」の石碑が立っている。千補陀堂は現在は洪水で流されてしまったそうだが、九戸城の戦没者を密かにまつったお堂だったそうだ。南部氏の支配の下でもこうして目をかいくぐり、人々は政実への思慕の念をつのらせていたのである。

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政実にもっと時流を見抜く力があったらこの悲劇は起こらなかったかもしれない。不器用・・・、不器用すぎる生き方である。
しかし最後まで一人の武士、いや一人の人間として、男の意地を通した政実の生き様には何か心魅かれるものがある。

(2006年6月)

大湯ストーンサークル(秋田県鹿角市)

大湯ストーンサークルは縄文時代の祭祀遺跡。円形に石が配置された造形は実に神秘的で、子供の時読んだ本では「これは宇宙人へのメッセージだ!」などとよく書かれていたが、それもなんとなく思わせてしまう光景である。まだ何のために作られたかは正確にはわかってはいないようだが、この円形の石組みを中心にいくつかの祭壇のような建造物が立ち並んでおり(復元されている)、ここで何らかの儀式が行われていたようだ。

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この日はもう夕方だったので閉まっていたが、隣接して資料館の「大湯ストーンサークル館」や土産物店などもある。

こんな顔出しもあり。お父さんはなんとヒゲつきだ。
家族みんなでレッツ顔出し!

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ストーンサークルグッズ!
いったい何売ってるんだ!気になる~~!

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ストーンサークルに沈む夕日。
縄文の人々も同じ風景を見たのだろうか。

(2006年6月)

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古代の丘・土偶広場(山形県長井市)

長井市内をドライブ中、「古代の丘」という看板を見つけた。看板には土偶のイラストがあり、土偶ファンとしてはちょっと気になるところ。早速行ってみると長者屋敷遺跡という遺跡の竪穴式住居を再現したものやこの地域で発掘された土器などを展示した資料館などがあった。その時は資料館にやたら土偶のレプリカが置いてあるなー、と思っていたがそれほど気にはとめていなかった。そして展示を見終わり、さて帰ろうかと思ったら、さらにこんな看板が・・・。

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なぬっ!土偶広場!なんと奥に「土偶広場」なるものがあるらしい。
資料館の裏手に広い公園が広がっており、樹々の間から何かがいっぱい立っているのが見える。
ま、まさか、こ、こ、こっ、これは~~~!?

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出たー!土偶、土偶、土偶、土偶の群れ~~!
遮光器土偶に、ハート土偶に、みみずく土偶!その数ズラリと15体!まさにオール土偶大進撃~~~~!!

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日本全国の有名土偶が大スケールでズラリと立ち並ぶ。
様々なルックスやポーズをした土偶たち。もうとってもファッショナブル!とってもキュート!

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丘の中央でデーンとそびえるは、もちろん土偶界のアイドル「しゃこちゃん」!なんと2メートルほどの大きさ!すごすぎる~~!

まさに土偶パラダイス!!

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園内には竪穴式住居にも泊まれちゃうキャンプ場もあり。
泊まってみた~~い!

(2006年6月)

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保渡田八幡塚古墳・かみつけの里(群馬県高崎市)

高崎の北部にある保渡田古墳群。付近は整備されて「かみつけの里」公園になっている。
その中の八幡塚古墳は葺き石や埴輪を復元して往時の姿を再現している。

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なななななな、何だこりゃ~~!
古墳の上も下もどこを見ても、埴輪、はにわ、ハニワだらけ~~~!
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もう埴輪ファン悶絶のハニワ最終兵器じゃ~!
うひゃ、うひゃ、うひゃひゃひゃひゃ~~~~!!

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・・・・。は~、あまりの衝撃的な光景に思わず取り乱してしまったが、埴輪をじっくり見てみることにしよう。
こちらの埴輪も数多くの豊富な種類の埴輪が出土し、群像を形づくっている。祭礼の場面に狩りの場面にと様々な光景が繰り広げられ、古墳時代の人々の息吹が伝わってくるかのようだ。復元されたカラーリングも当時のファッションがわかって面白い。

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力士。カラーリングされたマワシがイカす!どすこーい!

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馬の行進。馬をひいてる人も横にいる。はいどー、はいどー。
列の一番後ろには鹿もいる。鹿もほんとよく特徴をとらえて作られている。

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こちらはニワトリと水鳥の行進。まさにハニワ版カルガモ親子!?

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何体か丸い頭に胴体だけの埴輪も並んでいる。なんだこりゃ。「人生ゲーム」のコマかよ!
これはどうやら破片だけは見つかったもののどのような姿をしていたかはわからなかった人たちらしい。いったいどんな姿をしていたんだろうね~。

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こちらは狩りの場面。イノシシを猟犬が追い込んで、弓矢で射っている。素朴な造形なのに、きちんと狩りの躍動感は表現されているからすごい。

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で、狩りの成果はどうかというと・・・、
ぎょーん!矢がきちんと刺さっている~~!しかも血たれてるし・・・。

まさに埴輪は古墳時代のスーパーリアルジオラマだ!

(2006年5月)

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大室古墳群・大室公園(群馬県前橋市)

大室古墳群は4つの前方後円墳を中心に点在する古墳群。現在は整備されて遺跡公園となっている。

園内に入ると出迎えるのはこのモニュメント。
バ―――――ン!土器&埴輪タワー!

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土器と埴輪のハイブリッド!驚異の古代要塞だ!
今回訪れた時は枯れてしまっていたが、本来は噴水になっていて、各所にほどこされた様々なギミックが楽しめるようだ。巨大船は荒波の中を勇猛に進み、埴輪は踊ってくれることだろう。水が流れているところをぜひ見てみたーい!!

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小二子古墳。大きさは38メートルと4つの中では一番小規模な前方後円墳だが、多くの埴輪が発掘されており、復元された埴輪で当時の様子を再現している。前方部には祭礼の人々、後円部に太刀などの副葬品の埴輪が配置されている。

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ズラリと並んだ埴輪たち。もう埴輪ファンにはたまらな~い!

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太刀や盾などの器材埴輪がぎっしり。デザインチックな円筒系の埴輪がニョキニョキ並ぶ様は、まるで古代のロケット基地だ。ハニワロケット発射~~!

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後二子古墳。こちらは石室が見学できる。

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中二子古墳。111メートルの大きさの大室古墳群最大の前方後円墳。周囲にはぐるっと二重の堀が掘られ、これも含めると170メートルにもなる壮大なスケール。

ん?土手の上に何かが並んでいるぞ?
近づいて見てみれば、どひゃ~~~!ハニワ大行進!!

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はるか向こうまでズラリと並ぶ埴輪、はにわ、ハニワ!
驚異のハニワロード!すごすぎ!!

(2006年5月)

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岩宿遺跡・岩宿の里(群馬県みどり市)

歴史の教科書でもおなじみの岩宿遺跡。1946年、この地で考古学者相沢忠洋によって旧石器時代の地層から打製石器が発見され、日本にも旧石器時代があったことが証明された記念すべき遺跡である。
現在は発掘した地層断面は岩宿ドームという施設に保存されて見学することができる。

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発掘した石器をしげしげと眺める相沢博士の像。
関係ないけど、昔「土曜ワイド劇場」で愛川欽也がやってた考古学者の相田博士ってこの人からとったのかなあ?あのシリーズはトリックがかなり強引で笑えて好きだったな~。

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岩宿遺跡についてもっと知りたいなら、岩宿博物館へ。発掘された石器や相沢博士について詳しく紹介している。
あとは岩宿遺跡以外にも世界の旧石器時代についても解説。マンモスの化石や石器の材料となる黒曜石などにタッチできる。とくに猿人、原人、旧人、新人のそれぞれの頭骨のレプリカを古いもの順に並び替えるコーナーがツボ。ちなみに今年の春に合併して「みどり市」になったようで記念展示をやっていた。(以前は笠懸町)

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周辺は「岩宿の里」として整備された公園になっている。
ハニワ君と恐竜君がお出迎え。でも二人とも岩宿遺跡とはあんま関係ないけどね・・・。

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「岩宿人の広場」には世界各地の旧石器時代の住居の模型がある。なかなか珍しいものが多く面白い。こちらはフランスのパンスヴァン遺跡の住居。

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そしてこれが極めつけ、ウクライナのメジリチ遺跡の住居。
なんとオールマンモス製!どひゃ~~!!

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385個のマンモスの骨を使用。この上に皮をかぶせて住居としていたらしい。
入口とかおもいっきり牙のついた頭をそのまま使ってアーチを作るという斬新さ!驚異のデザイナーズハウス!!

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もうどこを見ても、骨、ほね、ホネ――ッ!

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お腹がすいたら売店へ。
名物はその名も「マンモス焼」。

(2006年5月)

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八幡山古墳(埼玉県行田市)

以前紹介したさきたま風土記の丘の北に位置する八幡山古墳。
近くの沼を埋め立てるために墳丘の土が使われ、現在は石室が剥き出しの状態になっている。

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通常は古墳の石室は土に覆われて見ることはできないものだが、ここではじっくりとその石組みを堪能できる。デーンと横たわるその巨大な石組みはまるで「謎の巨石文明出現!」といった感じ。実にダイナミック!まさに「関東の石舞台」の名にふさわしい。

(2006年5月)

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野毛大塚古墳(東京都世田谷区)

田園調布からさらに多摩川を上流にいった世田谷の住宅街にある野毛大塚古墳。玉川野毛町公園の一角に復元整備されている。周囲には復元された円筒埴輪がズラリと並ぶ。

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形は前方後円墳の一種で方形部分が小さい「帆立貝式」と呼ばれる形。模型で見るとその形がよくわかる。そしてさらにこの古墳で特徴的なのはもう一つ「造出部」という小さな方形部分がくっついている点だ。

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造出部を上から見たところ。いったい何のために設けられたものだろう?

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注目すべきは造出部の周囲の円筒埴輪だけは上部がギザギザになっているところ。今までこういう円筒埴輪は見たことがない。説明板によると柵型埴輪と言うらしい。

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造出部や柵型埴輪がどのような役割を果たすのかとくに説明がないのでよくわからないが、あえてこうしてギザギザに尖らせているということは明らかに強い「立ち入り禁止」の意思を表示していると思う。つまりこの場は「立ち入ってはいけない場所」であり、何らかの目的のための重要な場所なのだろう。古墳が墓であることを考えれば、死者への供養の儀式のための場所だろうか。そしてこの場に入れるのは生と死の世界を司るシャーマンだけであり、柵は生の世界のものが入らぬように、死の世界のものが出てこないように、その意味をこめて設けたものではないだろうか。

(2006年5月)

多摩川台古墳群(東京都大田区)

田園調布といえば高級住宅地で超有名であるが、実は古代もここは憧れのスポット。古墳がズラリと立ち並ぶ一大古墳地帯で、王者たちは多摩川を一望するこの地にこぞって古墳を築いた。
亀甲山古墳、宝莱山古墳の二大前方後円墳を挟んで、八基の円墳がズラリと並び、現在は多摩川台公園として整備されて、古墳の周囲を巡る遊歩道が設けられている。前回紹介した多摩川浅間神社の古墳も近い。

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公園内には古墳展示室があり、当時の様子を再現した模型や出土品などが展示されている。
これが古代のセレブの皆様だ~~!

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復元された古墳。照明が明るくなったり暗くなったりして古墳の一日を再現。夕暮れ時のハニワはなんだかちょっと哀愁の味。断面図まであるのもなかなかユニーク。

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まさに「田園調布に家が立つ!」ならぬ「田園調布に墓が立つ!」。
昔も今も田園調布はステータスシンボルなのだ。

(2006年5月)

足柄之関(静岡県小山町)

神奈川と静岡の県境の足柄峠は、鎌倉時代に箱根道ができるまでは東国へのメインルートであり、古くはヤマトタケルがこの地で亡き妻を偲び、新羅三郎義光はこの地で笛を吹いた。平安時代には関所が設けられ、往来の人々を厳しく取り締まっていた。

足柄峠にさしかかると、出迎えてくれたのはやっぱりこの人。
ご存知、足柄山の金太郎!熊の表情がなかなかナイス。

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峠には復元された関所の門がある。この門自体、黒澤明の「乱」に使用されたセットだったとのことで黒澤ファンも必見である。

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個人的にはこの顔出し看板も見逃せない。なんと「山伏」顔出し。
まあ関所ということで安宅関とかをイメージしたのかもしれないが、どちらかといえば「水戸黄門」の敵の忍者の変装って感じも・・・。

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向かいには足柄山聖天がまつられている。浅草聖天、生駒聖天と「日本三体聖天尊」のひとつとのことだ。こちらの門前にも熊にまたがる金太郎の像がある。

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足柄峠を越えると、その名も「金太郎富士見ライン」に出る。

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金太郎富士見ラインを下ると、金太郎のふるさと小山町へと至る。
その途中にあった広場にもこんな顔出し看板が。やっぱり出ました!金太郎!
顔出し看板マニアはぜひ足柄山へ!

(2006年5月)

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大塚・歳勝土遺跡公園(神奈川県横浜市)

大塚・歳勝土遺跡は、集落跡の大塚遺跡と方形周溝墓群の歳勝土遺跡から成る弥生時代の村の遺跡。各地の弥生時代の遺跡公園によくあるように竪穴式住居や高床式倉庫などが復元され、弥生時代の集落の様子を再現している。

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そしてこの遺跡公園の特徴的なのは、環濠集落の様子を再現しているところだ。この遺跡では村の周囲に環濠を設けた集落跡が完全な状態で発掘されたのである。
弥生時代といえばやはり稲作、教科書の挿絵なんかでも和気藹々と農業にはげむ人々が描かれ、のどかな雰囲気さえする。しかし実際の弥生時代はもっとハード、隣の村の米を狙っては村同士でしょっちゅう戦争状態なのだ。ということで、村の周囲には環濠が掘られ、土塁と柵をめぐらして完全防備することになる。ここではそれらを再現しており、弥生時代のそうしたハードな側面がよくわかって面白い。

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子ども向けにも弥生時代の人々の暮らしを描いたマンガの説明板があるので、わかりやすいと思う。ちなみに登場キャラの名前は「ツヅキ」くんと「アオバ」ちゃんというストレートなネーミング。(ここ大塚・歳勝土遺跡公園があるのが横浜市都筑区、隣が青葉区である)

集落に隣接してあるのが方形周溝墓群。方形周溝墓とは弥生時代にみられる四角く土を盛った墓で、周囲に溝が掘られている。村の有力者を葬ったものとみられ、いわば古墳の原型ともいえよう。集落と墓地とが隣接しているのもこの遺跡の特徴である。

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方形周溝墓の四角く土を盛った中央に穴を掘って木棺を納めたそうで、その様子が模型で再現されているものもある。作り物とわかってても、ポツンと置かれた木棺はなんだか妙にリアルでちょっぴりホラー・・・。

(2006年4月)

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偕楽園(茨城県水戸市)

水戸といえば偕楽園。いまさら説明するまでもない横綱クラスの梅の名所である。
なんせ園内には約3000本、100品種の梅が咲き誇り、東門や御成門から入ると見渡すかぎり梅、梅、梅である。梅の季節だけ臨時開業する「偕楽園駅」まであるくらいだ。

今年も一面の花盛り。実に見事でした。

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と、まあこんな具合にどうしても梅に注目が集まりがちな偕楽園であるが、今回は偕楽園をちょっと違う角度から紹介してみたい。

まず表門。萱葺きのとても雰囲気のある建物。門をくぐると竹林と杉林が広がり、その間の小道を抜けて好文亭へと至る散策路になっている。とても静かで心が落ち着くコース。駅や駐車場からだとそのまま東門から入ってしまい、梅林だけを見て帰ってしまう人が多いが、ぜひこちらにも足をのばしてみて。

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好文亭は偕楽園の中心となる御殿。偕楽園を築造した水戸藩九代藩主徳川斉昭の別荘である。斉昭は皆で楽しむことをモットーとし「偕楽園」と名づけたそうで、ここで時折敬老会などを開催し、領内の老人を招いてもてなしをしたそうである。現在の「水戸黄門」のイメージには斉昭のこうした人柄も影響されているのかもしれない。ちなみに水戸黄門といえば徳川光圀が思い浮かぶが、黄門というのは水戸徳川家代々の役職名であり、斉昭も実は水戸黄門だったりするのである。
そして好文亭にはすごい仕掛けがあるのだ。好文亭は三階建てで、三階の一角には配膳室があり、そこから二階を突き抜けて一階まで四角く穴が開けられている。最初見た時何の穴なのかよくわからなかったが、よくみると上部に滑車があり下から物を引き上げられるようになっている。なんとこれは江戸時代の食事運搬用のエレベーターなのである。こんな時代からあったとは・・・、びっくり!

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そして千波湖を一望する見晴らしのよい場所に「仙奕台」がある。奕とは囲碁のことで、その通り石でできた碁板や将棋板が置かれている。今もくっきりとマス目が残っている。その横には琴石もある。斉昭はここで絶景と琴の音色を楽しみながら、囲碁や将棋を楽しんだのだろう。うーん、とっても風流。

(2006年3月)

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吉見百穴(埼玉県吉見町)

吉見百穴。その名の通り、岩山に無数の横穴が掘られている。なんとも不思議な光景。実際は倍以上の219個の穴があるそうだ。

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これは古墳時代の群集墳で、古代の共同墓地のようなもの。穴の入口の大きさは様々で子どもでないと入れないくらいのものもある。穴の中をのぞくとベット状の盛り上がったスペース(棺座)があり、そこに遺体を置いたそうだ。私が見た穴は棺座がひとつだったが、複数ある穴もあるそうだ。
穴の中に一際大きいものがあるが、これは戦時中の軍需工場の跡。

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発見当時は伝説の小人族コロボックル人の住居跡とも考えられていたらしい。何ともファンタジー。
でもこの不思議な風景を見ていると、そんな幻想をかきたてられるのもわかるような気もする。

(2006年2月)

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さきたま風土記の丘(埼玉県行田市)

行田市の南部に広がる広大な古墳公園、さきたま風土記の丘。
大小9基の古墳が並び、なかでも国宝の鉄剣が出土した稲荷山古墳、日本最大の円墳丸墓山古墳などは有名。

園内には「さきたま資料館」があり、国宝の鉄剣などの出土品が展示されている。鉄剣には金象嵌で文字が刻まれ、今もはっきり読むことができる。かわいい犬や水鳥のはにわもお気に入り。

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将軍山古墳は整備されて「将軍山古墳展示館」になっている。
中には石室の内部が復元されており、副葬品とともに横たわる死者の模型が置かれている。なんだかリアルでちょっと怖いぞ。

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はにわ作りを体験できる「はにわの館」もある。
はにわ好きの方はぜひ。

(2006年2月)

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踊るはにわの里江南町(埼玉県熊谷市)

はにわといえば、やはり「踊るはにわ」を想像する方も多いのではないだろうか。顔といい、ポーズといい、実に親しみのあるはにわ界の人気コンビである。
その「踊るはにわ」のふる里が埼玉県の江南町だ。
(追記 その後2007年2月に江南町は熊谷市に編入合併いたしました)

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町役場のホールにレプリカがあったり、看板に描かれたりと、町のいたるところで踊るはにわにちなんだものが見られるが、とくに押切橋南公園には大きな踊るはにわのモニュメントがある。

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のどかな田園風景と踊るはにわ。
きっと彼らの時代もこうして田園風景が広がり、大地の恵みに感謝したことであろう。時を越えて甦る喜びの踊り。

(2006年2月)

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愛宕山公園(神奈川県横須賀市)

浦賀港を望む高台にある愛宕山公園。明治24年に開園した横須賀で一番古い公園である。昔は「浦賀園」と呼ばれていたそうで、公園の入口には古い看板が残り、古い歴史を感じさせる。

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公園内には浦賀の歴史を伝える石碑がいくつかあり、こちらは「咸臨丸出航の碑」。咸臨丸はこの浦賀よりアメリカにむかって出航した。裏には乗組員の勝麟太郎(勝海舟)、中浜万次郎(ジョン万次郎)、福沢諭吉らの名前が記されている。日米修好通商百周年記念として昭和35年に建てられたもの。
その咸臨丸出航に際し、修理を担当したのが中島三郎助である。

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そして一番高台の浦賀港がよく見える場所に中島三郎助招魂碑が立っている。
中島三郎助の二十三回忌に三郎助を偲ぶ友人達の手によって立てられたものである。篆額は箱館で共に戦った榎本武揚の筆である。そして同じく箱館での同志、荒井郁之助によって中島三郎助ゆかりの浦賀の地に造船所建設が提唱されたのである。

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黒船来航、鳳凰丸建造、咸臨丸出航、そして箱館戦争と激動の時代を駆け抜けた中島三郎助。熱き男の魂は今日も浦賀の海を見つめている。

(2006年1月)

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中島三郎助まつり・旧浦賀ドック(神奈川県横須賀市)

黒船来航の地、浦賀。
その時黒船に乗りこんで交渉にあたったのが浦賀奉行所与力、中島三郎助である。そして明治維新の際には幕府への忠義をつらぬき、箱館戦争にて壮絶な最期を遂げた。その業績を顕彰して1月下旬に「中島三郎助まつり」が開催されている。今年は生誕185年の年であった。

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会場となったのは旧浦賀ドック。2003年に閉鎖するまで百年以上もの長きにわたり活躍してきた。浦賀は幕末に日本初の洋式軍艦鳳凰丸が建造された近代造船発祥の地であり、その後明治時代に浦賀ドックが作られ、造船の町として栄えてきたのである。
そして鳳凰丸建造には中島三郎助も大きく貢献しており、浦賀ドックも中島三郎助の二十三回忌の折に建設が提唱されたという中島三郎助と縁の深い場所である。

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会場内では中島三郎助に関するパネル展示や地元市民によるコンサート、模擬店、バザーなどが行われていて賑わっていた。
手作りの咸臨丸も登場。咸臨丸もこの地より出航した。

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こちらは黒船シチュー。
ペリーから貰った鍋で作ったそうだ。シーフードたっぷり。

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この日は普段非公開の浦賀ドック構内のガイドツアーも行われた。
明治時代に作られた当時の面影を今に残すレンガ作りの重厚なドックだ。

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ドッグ内部に下りると、さらにそのスケールが実感できる。
整然と並ぶ船台。船の大きさに合わせて配置し、船体を支える。

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レンガ積みが美しい壁。大型クレーンの骨組が高くそびえる。

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現在旧浦賀ドックは今後の活用方法を検討中のようだが、造船の町浦賀の歴史を伝える場所としていつまでも残していってほしいものである。

(2006年1月)

キリストの墓(青森県新郷村)

キリストは日本に来ていた!
そんな驚きの伝説が伝わるのが青森県新郷村。当地で亡くなったというキリストの墓が残っている。

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村に伝わる話によると、実はゴルゴダの丘で磔になったのはキリストの身代わりで、キリストの弟のイスキリという人物。キリストは遠く日本のこの地まで辿りつき、ここで暮らして106歳まで生きたそうだ。
十字架の立つ二つの塚があり、一つはキリストの墓、もう一つはイスキリの墓だという。

他にもキリストにまつわるものとして、キリストの墓のあるこの地を「戸来(へらい)」といい、それはヘブライからきているとか、赤ちゃんの額に魔除として十字のマークを書く風習があるとか、村の旧家の家紋がダビデの星だとか、いろいろあるそうだ。

ミステリーファンのみなさん、ぜひ日本のキリストの謎にもチャレンジしてみてはいかが?

(1998年8月)

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洲本城(兵庫県洲本市)

淡路島の中央に位置する洲本。江戸時代から城下町として淡路の政治文化の中心となってきた。
その洲本の町を見下ろす三熊山に洲本城の天守閣が建っている。

さっそく山を登ってそばまで行ってみると・・・・。

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うーむ、なんともビミョーな天守閣が・・・。
とくに石垣の部分に注目、完全にハリボテ状態。中もコンクリート壁のガラーンとした部屋があるだけ。
当時の姿を復元というよりも、天守閣風の展望台といった感じだ。
しかしながらその歴史は古く、なんと昭和3年の再建で「日本最古の鉄筋コンクリートの天守閣」という肩書きを持っているのだ。(これまたちょっとビミョーな肩書きだけどね)

コンクリート天守閣界の長老、ここにあり。

(1998年8月)

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般若の丘公園(埼玉県小鹿野町)

般若の丘公園はラベンダーの名所、クアハウスも併設するレジャースポットだ。
園内には秩父で化石が発見された古代生物の復元像がある。

まず最初に大きな魚の像。
こちらはチチブサワラ、2メートルもある大型魚類。
大昔はこの地一帯は海だった。

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そして奥には群れ遊ぶカバのような動物の親子が。
こちらはこの秩父に大昔住んでいたというパレオパラドキシアという大型哺乳類の復元像。さて近くに寄って見てみよう。

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ちょっと顔が強烈なんですが・・・。も、ものすごい出っ歯・・・。

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顔面ドアップ!
どうですか、この圧倒的な破壊力!もう正視できな~~~い!

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「よいこのみんな、会いに来てね~。待ってるよ~~~!」

(2006年1月)

恐竜の足跡(群馬県神流町)

神流町の中里地区は二十年ほど前に「恐竜の足跡」が発見され、以来「恐竜王国中里」としてアピールしている。

これがその恐竜の足跡。国道299号線沿いの山中の崖にある。穴が二つ開いてるのがそう、三本指の足跡がくっきり見える。
長い足で二足歩行するダチョウ型恐竜オルニトミムスの仲間の足跡とのことだ。町内からは化石も見つかっており、「山中竜」と呼ばれている。他にも下部の方にも細かく足跡がついている。

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横にはこんな看板が。
あ、恐竜の足跡の説明が聞けるようだ。

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と思ってボタンを押したところ、えらいことに・・・。
突然上部のスピーカーから流れる大音量の解説。しかもバックコーラス入り!その歌声が山中に響き渡る。
あー、恥ずかし~!誰も来ないで~!早く止まって止まって~~!
おかげで説明全然覚えてません・・・。

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駐車場脇にいかしたコンクリート像のステゴサウルス発見。

(2006年2月)

大森貝塚(東京都品川区、大田区)

明治時代、生物学者モースによって発見された大森貝塚。ここより我が国の考古学の歴史は始まる。

すぐ横をJR京浜東北線が走っており、車窓より大森貝塚の記念碑を見かけた人も多いと思う。実際モースも列車に乗っていた時、車窓から貝塚を発見したそうだ。ちなみに最初に言った通り、彼は本来生物学者であるが、とくに貝類の研究をしていたそうだから、車窓よりこの地に眠る古代の貝のニオイを感じたのであろう。

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現在、大森貝塚は整備されて史跡庭園となっている。入口には縄文土器のオブジェが置かれ、トイレの壁なども縄目模様がつけられていたりして、ちょっとした縄文テーマパーク風。貝塚の地層も保存されていて見ることができる。

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土器を手にしたモース像。「いい仕事してますねー」(違)

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以上は品川区の「大森貝塚遺跡庭園」のもの。

実はちょっと南の大田区側にも大森貝塚の記念碑が立っている。こちらも電車から見える。
しかし記念碑の前に行くには、ビルの間の細い路地を通って行くことになり、またこれが全然目立たない。そしてわずかな敷地にさびしく碑がひとつ立っているだけである。
この差はいったい・・・。

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実はこれ、モースが記録に正確な位置を記さなかったため、こちらの場所の方が正しいと主張する説も出て、その人たちが立てたもの。そして長い間論争が続いたが、その後の調査によって現在では品川区側の場所が正しいということになっている。それでちょっとテンション下がって、かなりさびしい状況になっちゃったんでしょうか。

(2006年1月)

芝山公園(千葉県芝山町)

芝山町は日本有数の古墳地帯である。多くのはにわも出土し、町のシンボルとなっている。
町のいたるところにはにわのレプリカが置かれ、町の中心を走る道の名前も「芝山はにわ道」、毎年秋には古代人に扮装して町をパレードする「芝山はにわ祭」も行われる。まさにはにわ一色の町だ。

町民の憩いの場、芝山公園の一角にはにわ公園がある。
こちらでもはにわのレプリカが並べられ、いろんな形のはにわは見ていて楽しい。芝山では全国でも珍しい行列の姿を表した群像はにわが出土したことで知られている。

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そして公園を散策していると、異様な物体が目に飛び込んできた。
げーっ!はにわのトーテムポール!

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なんだかすごいことになってますが。もちろんこんなはにわはいない・・・。

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あまりの衝撃的な姿にあっけにとられてしまったが、上空を飛ぶ飛行機の音で我にかえった。ここからは成田空港も近い。
はにわの上を飛び去っていく飛行機。古代の象徴と近代の象徴が同時に存在する不思議。

(2005年9月)

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外史公園・長岡外史像(山口県下松市)

下松市にある外史公園。当地出身の日本航空界の功労者、長岡外史を記念して作られた公園である。
外史は陸軍中将として活躍し、その後は帝国飛行協会で日本の航空技術の発展につとめた。また軍隊で習得したスキーの技術を民間に広めた人物でもあり、日本のスキー界の功労者でもある。

飛行機に身も心も捧げた人生。そんな彼の像はこんな姿である。

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どひゃー!なんですかそのヒゲ!
まさにプロペラ。手広げたら飛びそうだ。そのヒゲの長さ、なんと67.31センチ、当時世界一の長さだったそうだ。
手には飛行機。けっして孫へのおみやげじゃないよ。

日本航空界の偉人は、自らも飛んでる人だった。

(1998年10月)

三笠公園(神奈川県横須賀市)

日本海海戦で活躍した戦艦三笠が鎮座する三笠公園。こちらも横須賀の歴史を語る場所である。

現在三笠は記念艦として保存され、その前には日本海海戦を指揮した東郷元帥の銅像が立つ。
三笠は公開されていて、船内の様子や当時の資料を見ることができる。券売機を見ると、一般の他に「自衛官」用のチケットもあった。

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艦上にあがると、広い甲板が広がっている。間近で見る砲身は太く、迫力がある。艦橋に登ると、床に東郷元帥らが指揮をとっていた場所を示すプレートが埋め込まれ、日本海海戦の折にどこに立っていたかがわかる。
その一方、後方の艦橋の壁面にはその場所で砲撃をうけ戦死した兵士の名前が刻まれており、あらためて「戦争=死」というものを実感する。戦争の勝利の陰には必ず誰かの死があるのだ。それは絶対に忘れてはならない。

艦内の展示室では解説テープにより、歴史や展示品を紹介している。人形を置いて当時の砲室の様子を再現した部屋では、砲撃時の掛け声入り。
メインの展示室中央にある日本海海戦のジオラマはスイッチを入れると、船が動いて有名な「東郷ターン」の様子を再現するというもの。海に落ちた弾によって水柱が上がるといった仕掛けもあり、なかなか細かい出来。

艦尾には上官の部屋があり、東郷元帥の遺髪、そして戦没者たちの英霊がまつられていた。静かに頭をたれ、三笠をあとにした。
2005年は日本海海戦から100年目の年であった。

(2005年12月)

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ヴェルニー公園(神奈川県横須賀市)

ひさびさに横須賀駅に降り立つと、駅前がガラリと様変わりして「ヴェルニー公園」という公園ができていた。
花壇や噴水、ベルサイユ宮殿にでもありそうな東屋、そしてボードウォークが整備され、いかにもおしゃれーな雰囲気。こちらでも紹介したフランス人技師ヴェルニーの名をとった公園で、フランス式の庭園だそうだ。

その一角にはこれまたフランスの住宅を模した「ヴェルニー記念館」が建てられている。

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館内には二台の巨大なスチームハンマーが鎮座している。
ヴェルニーの時代に横須賀製鉄所で使われていたもので、1865年ロッテルダム製の銘がある。日本に残る現存最古のスチームハンマーである。

3トンスチームハンマー。高さ約6メートル。黒光りするド迫力ボディ。
1996年まで現役で稼動していたそうだ。

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スチームハンマーの仕組みをわかりやすく説明するために、10分の1サイズの模型が作られ、休日には実演があるそうだ。
また力学を体験学習する装置、その名も「パスカルくん」と「ひかるくん」もある。
こちらはひかるくん。名前の通り、足でペダルを踏むことにより、発電させる装置。力の量によって光る時間が長くなる。

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親子連れや子供たちが先にやっていたが、なかなか最高値までいかず、けっこう大変なようだ。やがてみんな飽きたようで誰もいなくなった。しめしめ、ちょっとやってみるか。
さて始めようかと思った瞬間、またみんな戻ってきて、なんだかギャラリーができてしまった・・・。おい!見ないでくれーい!
しょうがないので必死でこぎましたよ、ひかるくん。なんとか最高値まで達成。おー、っと感心する子供たち。ど、どーだ、お兄ちゃんはすごいだろう・・・、ぜいぜい。もう足がつるってーの!

記念館を出て、園内を歩くと二体の胸像がある。一人はもちろん公園の名前にもなっているヴェルニー、そしてもう一人は小栗上野介忠順、横須賀製鉄所設立のもう一人の立役者である。
小栗上野介忠順は幕末に派米使節として海外を視察、勘定奉行、外国奉行、海軍奉行などをつとめ、優れた先見性を持ち、ヴェルニーとともにこの横須賀に製鉄所を造った人物。この二人によって日本の近代化の基礎は築かれたのである。

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ちなみに少年ジャンプ「花さか天使テンテンくん」の小栗かずまたは小栗上野介の子孫とのこと。子孫の手によって、小栗上野介はよこすか開国祭のイメージキャラクター「オグリン」として生まれ変わったそうな。

また公園の片隅に海軍関連の記念碑群がひっそりとある。現在は一箇所に集められているが、以前の「臨海公園」はこれらの記念碑群がメインにすえてあった。こちらも横須賀の歴史を語る上で忘れてはいけないモニュメントである。

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どんどん移り変わってゆく横須賀の海を見つめ何を想うか上野介。

(2005年12月)

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風車の弥七の墓(茨城県常陸大宮市)

ご老公に狙いを定める悪徳商人の短筒。ご老公危うし!その瞬間、颯爽と飛んでくる弥七の赤い風車!
時代劇「水戸黄門」で、ご老公一行を陰から助ける忍者、風車の弥七。中谷一郎氏の渋い演技で人気を博したキャラクターである。

もちろん風車の弥七は創作であるが、そのモデルとなった人物がいることをご存じだろうか。

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名を小八兵衛といい、忍びの達人で、盗賊の頭をしていたが、水戸光圀によって捕らえられ命を助けてもらってからは、改心して光圀のために働いたという。まさに弥七のモデルである。
現在、小八兵衛の墓は「風車の弥七の墓」として親しまれ、参拝者が訪れている。隣には恋女房のお新の墓もある。二人の小さな墓石の前には、たくさんの風車が供えられ風にそよいでいた。

もしかすると「うっかり八兵衛」のモデルもいたりしてね。

(1998年2月)

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走水水源地(神奈川県横須賀市)

横須賀市街地から観音崎に向かう途中に、明治時代にフランス人技師ヴェルニーによって造られた走水水源地がある。
ヴェルニーは江戸末期~明治初頭にかけて来日し、横須賀製鉄所、観音埼灯台などを造り、横須賀の近代発展につとめた人物で、走水水源地は製鉄所の工業用水を確保するために造られたものである。
現在ではたくさんの浄水場もできたので、あまり使われることはなくなったようだが、今もこんこんと水が湧き出ている。

さて、その走水水源地には、ヴェルニーの功績をたたえ、胸像が作られている。
そしてヴェルニー像の手には水瓶があり、そこから水が流れ落ちるしくみになっていて、走水のおいしい水を飲むことができる。

そして、先日ひさびさに前を通りかかったところ、ものすごい光景が待っていた。

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なんだこりゃー!鉄板で塞がれちゃってるじゃん!

実はマナーの悪い利用者が増加したため、閉鎖してしまったとのことだ。残念。
そういや以前通りかかった時、ポリタンク何個も持ってきて汲んでたオッサンがいたもんなあ・・・。

こちらありし日のヴェルニーさん。97年頃の撮影。
この時点で水はもう使用不可になっていた。

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また再び、ヴェルニーさんに会えるのはいつの日だろうか。

(2005年12月)

和銅遺跡(埼玉県秩父市)

日本最古の通貨「和同開珎」、そのふるさとが秩父の和銅である。
奈良時代に、この地で発見された自然銅が朝廷に献上されて、和同開珎が作られた。一帯には当時の採掘の跡が残っている。

そしてこれがその和銅遺跡を記念したモニュメント、巨大和同開珎。
なんと高さ5メートル。マンガによく出てくる石器時代のお金もびっくりの大きさ。いきなり山中にデーンとある。
付近はハイキングコースにもなっているので、普通にハイキングしていて目の前に突然これが現れたら、さぞかし驚くことだろう。

このすぐ隣の削られた崖が採掘の跡。

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近くには和銅が献上されたことを記念して、奈良時代に創建された聖神社がある。和銅石が御神体とのことだ。
境内には「和銅鉱物館」という古びた雰囲気のいい味を出している資料館があった。残念ながら閉まっていて見ることはできなかったが、この地で取れた鉱石が展示されているそうだ。

(2005年12月)

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大串貝塚ふれあい公園(茨城県水戸市)

水戸市の郊外にある大串貝塚は、奈良時代の「常陸風土記」にも記載されている由緒ある貝塚。縄文時代に人々がここに住み、魚や貝などを採って暮らしていた。
現在は遺跡公園になっていて、復元された竪穴式住居や縄文人の像などがあり、当時の姿をうかがえる。

そしてこれが縄文時代にこの地に住んでいた住人の姿だ。

バ―――――――ン!

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で、でかすぎ・・・。

実はこれは「常陸風土記」に中に登場するダイダラボウという巨人の像。高さ15メートル。
ここ大串貝塚は昔はこのダイダラボウが食べた貝が積もってできたものだと言われていたそうだ。

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ダイダラボウの体は展望台になっていて、手のひらに乗ることができる。子供の頃にウルトラマンとかを見て、誰もが一度は体験してみたいと思ったでしょ。
見上げるとダイダラボウのでっかい顔。

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現実の縄文人と伝説のダイダラボウが共存する世界。

大きなダイダラボウはとても優しい村の人気者。いつでも村の子供たちの格好の遊び相手。そしていつでも村人たちをあたたかく見守ってくれている・・・。

本当にこうだったら面白かったのにね。
大きなダイダラボウの背中を見つめていると、そんなおとぎ話の想像をかきたてる。

(2005年12月)

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くれふしの里古墳公園・はに丸タワー(茨城県水戸市)

水戸市の内原地区には60メートルもの大きさの前方後円墳をはじめ、大小いくつもの古墳が点在する。
それらの古墳群はハニワを並べて当時の姿に復元されたりして、きれいに整備された歴史公園となり、園内の施設も古代をテーマに土器風の遊具や前方後円墳型の屋根の東屋、竪穴式住居型のトイレなどになっていてなかなかこっている。

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この公園のシンボルとしてデーンとそびえたつ巨大ハニワ。まるでこの地を支配していた豪族の長のような風格。
ハニワといったら名前はもちろん「はに丸」。直球勝負なネーミング。ハニャー。

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実はこのはに丸くん、背後にまわるとちょっとえらいことになっている。

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おい!体半分しかないじゃん!
素朴な正面の姿とはうってかわって鉄骨な外観。そう、このはに丸くん、タワーになっていて頭まで登ることができるのだ。でも全部階段なんだけどね・・・。

そしてひたすら階段を登りつめ、やっと頭部の階まで辿りつくと、壁面に巨大なハニワ面があらわれる。
たしか口に手を入れると古代からのメッセージを語りかけてくれたはず。
今日はどんなメッセージかな~。わくわくしながら口に手を入れてみる・・・。

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無口なんですね・・・。

(2005年12月)

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熊野古道の牛馬童子(和歌山県田辺市)

2004年春、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録も内定し、これからますます注目されるであろう熊野古道。
今回は熊野古道のイメージキャラクターともいえる「牛馬童子」を訪れることにした。

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牛馬童子入り口の看板。なかなかかわいくキャラクター化されている 。
でも一歩間違えると童子はウォーズマン(ウォーズマンスマイル時)。

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杉木立の中を歩く。

当日はかなりのどしゃ降りで、地面はまるで川のよう。
他には誰も歩いていない。
しかし降りしきる雨音のみが聞こえる静寂な世界はまさしく古道といった雰囲気でなかなかよい。

すると足元をササッと駆け抜けていくものがある。

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あっ、カニだ。雨に誘われてか、無数のカニがうじゃうじゃと道に這い出ている。全部で100匹以上はいただろう。こんなにたくさんのカニははじめて見た。

踏みつけないように注意しながら歩く。まあ足音が近づけば警戒してむこうのほうからよけて道脇の草むらへと隠れるのだけど。でも中には逃げるそぶりも見せず、ハサミを振り上げて立ち向かってくるカニもいたりして、小さな体に闘志満々でなんともカワユイ。

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そしてぬかるみの山道を歩くこと二十分、牛馬童子とご対面。
実に素朴な造形で、牛と馬の二頭はまるで民芸品のよう。実に愛らしい。花山法皇の熊野詣での旅姿といわれているようだ。

じっと見ていると実に心がなごむ像である。古の人々もこの姿にきっと疲れを癒されたことであろう。

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こちらは入り口近くの牛馬童子パーキングにあるオブジェ。
牛と馬の表情がなんともいえない。

但し上にまたがっても牛馬童子に見えるかは微妙。

(2004年5月)

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