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七輿山古墳と五百羅漢(群馬県藤岡市)

数多くの古墳を有する古墳王国・群馬県。今までもいくつかの古墳を紹介してきたが(こちら参照)、今回紹介する「七輿山古墳」は全長146メートルの東日本では有数の大きさを誇る巨大古墳。造られたのは6世紀くらいといわれ、古墳時代としては後期にあたるが、全体的に規模縮小傾向が進む古墳時代後期において、これだけのスケールの古墳は素晴らしい。

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ひさびさに訪れたがやはりホレボレする見事な大きさ。古墳に隣接して「七輿の門」という資料館的な施設もできていた。入口にあるハニワのモザイク画がカワイイ。

ちなみに七輿山の名前は奈良時代にこの周辺を治めていた「羊太夫」という豪族が、朝廷によって謀反の疑いがあると無実の罪で討伐され、その羊太夫の七人の娘(あるいは七人の妻)が輿に乗ってこの地まで逃がれて自害し果て、ここに葬られたという伝説に由来している。
実際は古墳の造立時期と羊太夫の時代はずれておりあくまでも伝説なのであるが、この周辺地域には羊太夫伝説が数多く残り、地元の英雄であった羊太夫にこの大きな古墳の姿を重ねあわせたのだろう。

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さて七輿山古墳には古墳自体の他、もう一つ気になるものが存在する。それは五百羅漢
七輿山古墳の説明板では全くスルーされてしまっているのだが、墳上に五百羅漢の石像が並んでいるのである。この日は午前中に五百羅漢の寺定福院を訪問し、ふと以前ここで見た五百羅漢のことを思い出したので、ひさびさに訪ねてみたのである。

七輿山の五百羅漢はこんな姿である・・・。

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・・・・・。そう、みな頭をもがれた見るも無惨な姿である。無論風化によるものではなく、意識的に何者かが破壊したもの・・・。
ある者は説法中、ある者は座禅中、ある者は出かけようと草履の紐を結んだ瞬間で時が止まり、喜怒哀楽さまざまな表情で語りかけてくれていたはずの彼らは、今はその顔を失い、ずっと沈黙を続けている。
先ほど目にしたばかりの「定福院」の楽しそうな笑顔に満ち溢れた羅漢たちの姿を思い出すと、今目の前で座っているこの羅漢たちの姿にはとても胸をしめつけられる思いだ。

これは明治期の急激な改革の下、行なわれた「廃仏毀釈」の爪あと。
時の明治政府は神道を中心とした新しい国造りを促進するため、「神仏分離令」を発布し、全国各地でこのように寺院や仏像が破壊されたのである。この七輿山古墳の羅漢たちも一体一体全ての首が切断され、まとめて古墳の堀の中に投げ捨てられたという。石像そのものを全て破壊してしまうのではなく、あえて首を切断した体部を残すことによって、おそらく人々への見せしめにしたのであろう。新しい世を作るためという大義名分はあったのだろうが、とても悲しい出来事である。

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残された体を見ると羅漢たちはそれぞれ一体一体の個性を感じる見事なもので、当時の姿をぜひ見てみたかった。中には羅漢の名前が彫られた石碑もいくつかあり、以前はそれぞれの像の横にこうして名称を現した石碑があったのだろう。現在は羅漢たちはこうして一箇所に集めてあるが、もしかするとこの墳丘自体を羅漢たちが釈迦の説法を聞きに集まったという「霊鷲山」に見立てて、墳丘全体に配置されていたのかもしれない。(ちなみに寄居町の少林寺の裏山にも五百羅漢があり、そちらもこうした見立てが感じられる)

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「霊鷲山」に見立てていた根拠として、墳丘上には釈迦三尊の石仏もある。勿論こちらも首のない無惨な姿・・・。
頭を失った主人を乗せ、象もとってもせつなそうな表情・・・。

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中には頭部が発見され、元の姿に修復された羅漢もいる。
昔はみなこのように微笑んでいたのだ・・・。

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羅漢像の間を歩いていたら、一体の羅漢の頭を見つけた。
どうしても彼の体を見つけてあげたくて、一体一体見てまわったが、ついに該当する体は見つけることはできなかった。ごめん・・・。
体部も破壊されてしまっている像もあるので多分そのうちの一つだったのかもしれない。いつの日か無事に修復されることを願ってその場を後にした。

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実は七輿山古墳には20年ぶりくらいの訪問となる。小学生の頃から古墳好きだった私は、休日の度にひたすら自転車をこいで、埼玉、群馬、栃木など北関東の古墳を訪ねてまわっていた。(ほんと我ながらカワリモノだこと・・・)そしてある日、群馬の古墳界の大物スターであるこの七輿山古墳に来た時、墳上にズラリと並ぶこの「首なし羅漢像」に遭遇し、あまりの衝撃的光景に卒倒しそうになりながら、ほうほうの体で帰ったことがある。まさに少年時代は恐怖!もう恐怖の一言しかなかった。それ以来私にとってトラウマ的スポットであった。

しかしあれから月日が経ち、こうして各地の古寺や史跡を巡っているうちに考えも変わってきたのか、ひさびさに対面した羅漢たちの姿はひじょうに心をうち、感動的な再会であった。ああ、来てみて本当によかった。

そして羅漢たちの姿は遠い昔の羊太夫の伝説と重なって見えてくる。この地を舞台にして起きた二度の悲劇。羊太夫一族の最期と五百羅漢たちの受難・・・。
いずれも理不尽な暴挙による無実の悲劇である。

再びそんなことが繰り返されることが無いよう、彼らは無言で伝えてくれている。

(2007年2月)

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