補陀洛山寺(和歌山県那智勝浦町)
紀伊半島の南端、那智勝浦に補陀洛山寺はある。
本堂の柱や幟には「補陀洛(ふだらく)渡海の寺」とある。さてこの「補陀洛渡海」とは何だろう。
補陀洛とは南の海のかなたにあると考えられた観音菩薩の浄土の世界。そこを目指して数多くの僧たちが船出した地がこの寺である。
熊野那智の様相を描いた「熊野那智参詣曼荼羅」という絵があるが、その右下にもその光景は描かれている。人々に見送られながら一艘の小さな船が旅立っている。素朴でカラフルな絵柄のため、まるでおとぎ話の世界のように見えるが、その儀式の実際を知るとすさまじい信仰の世界に驚かされる。
渡海上人は船の中央の三角形の屋根の部分に入るわけだが、そこを見ると前も後も板で囲まれ、まったく出入り口がない。
つまり渡海上人が中に入ったら外から厳重に釘で打ち付けて二度と外に出られなくしてしまうのだ。四方に配した鳥居は現世界と異世界とを区切る結界を意味しているのであろうか。
二度と出られぬ漆黒の闇。
そして二度と帰ることのない船出。
僧たちは経典とわずかな食料だけを積んで旅立った。
補陀洛浄土を目指して・・・。
すさまじい信仰の力だ。
平安時代から江戸時代にかけて何人もの僧たちが補陀洛渡海の旅に出た。
その中には平維盛の名前も見える。平家の若武者は何を思いながら補陀洛浄土へと旅立ったのであろうか。
補陀洛渡海の儀式は次第にエスカレートしていき、本人の意思と関係なく、むりやり渡海船に乗せられたケースもあったらしい。
そして悲劇は起こった。江戸時代に金光坊という僧が補陀洛渡海の旅に挑んだ。しかし彼は船から脱走をはかり、沖合の島に逃げてしまうのである。そしてそれを見つけた人たちによって彼は殺されてしまうのだ。彼の殺された島は金光坊島と呼ばれている。
すさまじい信仰の力は時に人を狂気へと変えてしまう。
この事件を境に生きながらの補陀洛渡海の儀式は行われなくなったという。(その後は死後に遺体を乗せて海に流したとのことである)
私が訪れた日は渡海上人供養の法要があり、本尊の千手観音菩薩が御開帳された。その表情は丸顔の女の子のようでとても優しい。
そしてこの観音様の前で僧たちはいったい何を思っただろうか。
ある者は一心不乱に補陀洛浄土を信じ、観音様、どうぞ私を貴方様の浄土へとお導きくださいと念じただろう。
そしてある者は刻々とせまる船出の日を前に、怯えてすがったかもしれない。
そんな人々の様々な想いを、彼らの旅立った那智の海を眺めながら想った。今日の海はとてもおだやかだった。
(2004年5月)
コメント